1935年に創業者の山田量輔が埼玉県所沢市日吉町に手打ちうどん専門店を開いたのが、そもそもの始まりだ。1964年に所沢市上安松に本社を移転、1966年には欧米のドライブイン方式を採用した専門食堂を本社前でオープンした。早くからアメリカのフランチャイズチェーン方式に目をつけ、1968年には後に4代目社長となる山田裕通を渡米研究させている。海外進出も意外なほど早く、1975年にはニューヨークのマンハッタンにラーメン店「TARO」を開店している(現在は閉店)。このときに裕通はアメリカのフリーウェイを視察し、ケンタッキーフライドチキンの廻る看板の存在を知った。それを取り寄せて所沢の本店に設置したのが、山田うどん初、いやおそらくは日本初の回転看板だったのである。
そして話は最初に戻る。えのきどいちろうが山田うどんを日本初の「ダイナー」と規定するのは、以上の理由による。ダイナーとは19世紀末にアメリカ合衆国内に存在した移動式屋台を起源に持つ大衆食堂だ。ホットドックやハンバーガーといった大衆食は、みなこの移動式屋台から生まれたものである(アンドルー・F・スミス『ハンバーガーの歴史』)。やがて固定店舗となり、特にロードサイドに設置されたそれは長距離旅行者に便宜を図るようになった。