なるほど、と思う。10代のえのきどや北尾にとって山田うどんは、そうした匿名性にとまどったときに飛び込む避難所のようなものだったのだ。2人と一回り年齢が違い、「団地」で過ごした10代の時間を過ごした私にはよすがとなるものが無い。この違いは意外と大きいということを、山田うどんが教えてくれた。『愛の山田うどん』の読書体験は、そうした形で原風景論にも発展していく。私よりもさらに山田うどんから遠く、他の原風景を持つ読者は、また違った感想をこの本に持つのではないだろうか。広がりについて考えていくのが実に楽しい。
えのきどの文章だけにとどまりすぎた。それ以外にも楽しい論考が多数詰め込まれた本である。北尾トロは「うどんの国から」と題した文章で、世の中がコシのあるさぬきうどん至上主義に塗り替えられていく風潮に異議を唱えている(特別寄稿の平松洋子も書いているが、京都のうどんにまでさぬきうどん化の予兆が見られるという)。山田うどんはそうした風潮に背を向け、あくまでも「いつもの味」であることに徹する。その態度を北尾は高く評価するのだ