およそ100年前、直島は農漁業の不振で村の財政が逼迫し、銅製錬の工場(現在の三菱マテリアル株式会社直島製錬所)を誘致し、瀬戸内の島の中でも経済的に発展。約50年前、町長に初当選し、その後連続9期務めることになる三宅親連氏が打ち立てた町づくり構想が、現在の直島の礎になっているという。
「町の北部を製錬所中心の産業エリア、中央を生活&教育エリア、南部を瀬戸内海国立公園を活かした文化・リゾートエリアの3つに区分してそれぞれを発展させるという青写真でした。そして25年前、直島町と福武書店(現ベネッセホールディングス)の邂逅によって生まれた、『直島南部一帯を人と文化を育てるエリアとして創生する』という『直島文化村構想』が現在のベネッセアートサイト直島(*2)の活動のルーツとなっています」(藤井さん)
新しいものを積極的に取り入れる反面、古き良きものも残す。役場のある本村地区は戦国時代に成立したミニ城下町で、文化財や立派な屋敷なども残っており、そのいくつかはアートや古民家カフェとして私たちに直島の別の表情を見せてくれる。そして、製錬所の金の生産量は東洋一なのだそうだ。