きょう、12月2日、2013年の「ユーキャン新語・流行語大賞」が発表される。いまやすっかり年末の風物詩となっているこの賞は、1984年に「日本新語・流行語大賞」として始まり、今年で30回目を数える。
同賞は『現代用語の基礎知識』の最新年版に収録された言葉のなかから選ばれるが、その2014年版には、『流行語大賞30周年』という別冊付録がつき、歴代の受賞語を振り返ることができる。

新語・流行語大賞に選ばれた言葉が、時代を映す鏡であることは間違いない。ただその一方で、受賞していてもおかしくないのに、なぜか選から漏れてしまった語というのも結構あったりする。この記事では、そんな賞に選ばれなかった新語・流行語を30年分、2回に分けて紹介したい。これらの言葉からもまた、昭和と20世紀の終わりから現在にいたるまでの日本の姿を垣間見ることができるはずである(以下、文中では“非受賞語”を太字で示すとともに、受賞語に関してはどの部門での受賞であったか適宜カッコ内などに示した)。

■1984~1988年 「自粛」で消された「お元気ですか」
1984年の第1回新語・流行語大賞の受賞語に「千円パック」(流行語部門・特別賞)がある。
これは、この年、「劇場型犯罪」として日本を騒がせたグリコ・森永事件から生まれた語のひとつだが、事件関連ではむしろ、犯人が名乗った「かい人21面相」、挑戦状での「けいさつのあほどもえ」、あるいは警察が作成した似顔絵から犯人の通称となった「キツネ目の男」などといった言葉のほうが印象深い。

1985年は日航ジャンボ機墜落という大事故が起き、「ダッチロール」「金属疲労」といった言葉がメディアに登場した。事故の原因と考えられた後者の語をもじって、「勤続疲労」なる造語も現れたが、いずれも受賞はしていない。

この時期は「週刊少年ジャンプ」の全盛期でもあり、その連載作品からは「おまえはもう死んでいる」(『北斗の拳』)など多くの流行語も生まれた。これらの言葉にかぎらず、新語・流行語大賞の受賞語には、意外とマンガやアニメ発の言葉が少ない。これは審査員がこの分野に疎いというのもあるのだろうか。


1986年には、「定番」がファッション用語として女性誌の特集にあいついで登場し、広く使われるようになった。「流行に左右されず常に安定して人気のある商品」という意味なので、“流行”語とは認められなかったのか。

1987年に放映が始まった、とんねるず司会のテレビ番組「ねるとん紅鯨団」では、若い男女の見合い企画がおおいにウケ、「ねるとん」はそのままお見合いパーティーの代名詞として定着した。80年代後半のとんねるずの勢いはすさまじく、「ゲロゲロ」「~みたいな」など流行語も数多く生んだが、新語・流行語大賞とは無縁だった。

1988年、日産セフィーロのCMに井上陽水が出演し、「お元気ですか」のセリフとともに話題となったが、同年9月に昭和天皇が重篤に陥るとこのセリフはカットされてしまう。これ以外にも、テレビからはお笑い番組が消え、芸能人の結婚披露宴や地域の祭りがとりやめられたりと、天皇の病状を慮っての「自粛」ムードが日本列島を覆った。
昭和最後の新語・流行語大賞に「自粛」が選ばれてもよかったはずだが、なぜか授賞されず、年が明けてまもなく元号は「平成」(1989年、特別部門・特別賞)に変わる。

■1989~1993年 受賞のタイミングを逸した「おたく」
1989年8月、前年からの連続幼女誘拐殺人事件の容疑者が逮捕される。事件報道では、容疑者の趣味や性格が大きく取りざたされ、それにともない「おたく」という語が広まった。この言葉がこの年の新語・流行語大賞の選から漏れたのは、普及するきっかけが凶悪事件だったことに加え、もともとネガティブな意味合いで使われていたからだと思われる。

新語・流行語大賞では、「新人類」(1986年、流行語部門・金賞)のように、当初はマイナスイメージの強かった言葉ながら、そのイメージを一新する活躍を見せたとして、当時の西武ライオンズの清原和博・工藤公康・渡辺久信の3選手に賞を贈った先例がある。これに対し、「おたく」は90年代に入ってもマイナスイメージがつきまとい、それが文化やビジネスとして社会的に認知されたときには、すでに新語・流行語の域を超えるものとなっていた。
タイミングを逸したというしかない。とはいえ、80年代以降の日本をもっとも象徴しているであろうこの言葉が受賞していないのは、山口百恵がレコード大賞を、村上春樹が芥川賞を受賞していないのと同じぐらい落ち着かないが。

1990年、ソ連(解体はその翌年)のソユーズ宇宙船に搭乗し、TBS記者(当時)の秋山豊寛が日本人初の宇宙飛行を行なった。その第一声が「これ、本番ですか」だったのは、放送人ならではというべきか。ただ、多くの日本人にとっては、秋山よりもむしろ、1992年にスペースシャトルに搭乗し「宇宙授業」(大衆語部門・金賞)を行なった毛利衛のほうが記憶に残っているかもしれない。

新語・流行語大賞の受賞語にはエロに関する言葉がきわめて少ない。
1991年は、樋口可南子や宮沢りえの写真集が口火を切って、「ヘアヌード」が事実上解禁された年だが、同年の受賞語にはそれに関する語は見当たらない。同じく91年には、テレビドラマ発の流行語として、「101回目のプロポーズ」での武田鉄矢の「僕は死にましぇ~ん」は受賞したが(大衆部門・金賞)、「東京ラブストーリー」での鈴木保奈美の「セックスしよ!」は選ばれなかった。賞の性格上、あまり露骨なものは避けざるをえないというのもあるのだろう。せめて、80年代末に登場し、この頃には定着していた「巨乳」が受賞していたら面白かったのだが。受賞者はかとうれいこと細川ふみえあたりで。

1992年、大竹しのぶと離婚した明石家さんまが、額に「×」を書いて記者会見にのぞんだことから、一度離婚したことを指す「バツイチ」の語が急速に一般に浸透したとされる。
同年にはテレビアニメ「美少女戦士セーラームーン」の放映が始まり、決まり文句の「月に代わってお仕置きよ」が子供たちのあいだで流行した。これも選ばれていないなんて、あいかわらず新語・流行語大賞はアニメ・マンガに冷たい。

1993年の新語・流行語大賞では、前年からの新党ブームを念頭に「新・〇〇」という語が新語部門・銀賞を受賞している。このとき誕生した「日本新党」「新生党」も、従来の政党のように党名にイデオロギーや信条を掲げるのではなく、イメージを優先させた点で画期的であった。ネーミングを手がけたのがそれぞれ仲畑貴志と眞木準という人気コピーライターだったことも特筆される。

ただ、このブームを追い風に首相となった日本新党・党首の細川護熙は、記者会見で質問者をボールペンで指名するなどのパフォーマンスで話題を呼んだものの、その言葉はというと印象に乏しい。この点、細川と同様に徹底したイメージ戦略で知られた小泉純一郎が、新語・流行語大賞を複数の語で受賞しているのとは対照的である。

なお、この年の総選挙で大きく議席を減らした社会党では、引責辞任した山花貞夫に替わる委員長に、村山富市が就く(首相になるのは翌94年)。村山についてはその眉毛の長さが話題を呼び、当時のテレビの人気番組「進め!電波少年」では、松村邦洋が「アポなし」で社会党本部を訪ね、眉毛を切らせてもらおうという企画が組まれるほどだった。

■1994~1998年 “無視”されたオウム真理教関連語
1994年で平安建都1200年を迎えることから、JR東海はその前年より「京都キャンペーン」を開始した。そのCMではBGMの「私のお気に入り」(ミュージカル・映画の「サウンド・オブ・ミュージック」の一曲)とともに、「そうだ 京都、行こう。」のキャッチフレーズが人々をいざなった。同キャンペーンは好評を博し、20年経った現在も続いている。「バブル経済」(1990年、流行語部門・銀賞)崩壊後の長い停滞期にあって、京都は日本人にとって格好の「癒し」(1999年、トップテン入賞)の場所だったのかもしれない。ちなみに「古都京都の文化財」が世界文化遺産に登録されたのも1994年のこと。

1995年3月に地下鉄サリン事件が発生して以降、その凶行におよんだオウム真理教をめぐる報道が連日メディアをにぎわせた。この間、「サティアン」「ポアする」「ああ言えば上祐」などの言葉が人々の口にのぼり、同年の新語・流行語大賞でも関連する8語が推薦されたものの、授賞にはいたらなかった。審査委員会(当時の委員長は評論家の草柳大蔵)が「反社会集団の残した言葉は賞に値しない」と判断、異例の委員長見解を出し「無視という形の最大の抗議」で対象外としたためだ。それでも、教団の広報責任者だった上祐史浩に対し、ある外国人記者が会見で放った「You're a liar」という言葉ぐらいは、賞に選ばれてもよかったんじゃないかという気もする。

オウム騒動のさなか、翌年の1996年にかけてテレビシリーズが放映されたアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」は、雑誌であいついで特集が組まれるなど社会現象となった。劇中での主人公・碇シンジのセリフ「逃げちゃダメだ」は、この年の新語・流行語大賞でトップテンに入った「閉塞感(打開)」と、精神的に通じるものがある。

アニメ関連でいえば、もともとはテレビゲームとして生まれた「ポケットモンスター」は1997年にテレビアニメ化され、一躍ヒットとなる。同年末には、激しい光の点滅を用いた演出が原因で、全国で見ていた子供たちが体調不良を訴えるという事件(ポケモンショック)こそあったものの、その人気は衰えず、やがてアメリカほか各国でもアニメが放映され、「POKEMON」は世界で通じる語となった。

新語・流行語大賞ではオリンピック開催のたびに、日本選手の活躍に関連した言葉が受賞している。それを思えば意外だが、地元開催となった1998年の長野冬季オリンピックからは受賞語は出なかった。名言がなかったわけではない。その一つに、男子スキージャンプ団体で日本の金メダル獲得まであと一歩となったとき、チーム最年長の原田雅彦が最終ジャンパーの船木和喜に送った「船木ぃ~」という声援がある。原田はその前回、1994年のリレハンメル五輪で、自身のジャンプの失速が原因で優勝を逃していた。それだけに、この言葉には重みがあった。

原田の発言が受賞しなかったのは、この年の新語・流行語大賞が例年にない豊作で、入りこむ余地がなかったというのもあるのだろう。田中眞紀子の「凡人・軍人・変人」や、ときの首相・小渕恵三の「ボキャ貧」など政治関連での受賞語も多かった。ただ、これを契機に、同賞の受賞式が政治家にとって格好のPRの場になってしまったという感も否めない。かつてこの賞は、中曽根康弘首相の「鈴虫発言」(1984年、新語部門・銀賞)に賞を贈るなど、風刺精神を旨としていたはずだが、それも回を追うごとに変化しつつあった。

21世紀に入る前後には、インターネット上で独自の文化が形成され始め、そこからさまざまな言葉も生まれた。後編ではそうした時代の変化を踏まえつつ、新語・流行語大賞と非受賞語を振り返ってみたい。
(近藤正高)