同様の話は、昨年岩波新書から出た増井元『辞書の仕事』にも出てくる。そこでは、村上春樹の「無人島の辞書」と題するエッセイのほか、やはり「無人島に辞書を」派の代表格である井上ひさしが、持参するなら『広辞苑』と具体的に書名をあげていたことなどが紹介されている。もっとも井上は“自身があちこちに書きこみをした『広辞苑』”と断っており、それがいかにも日本語に終生こだわり続けた彼らしい。
無人島に辞書を持参したいという人は、古今東西を問わないようだ。現在はスペインの自治州であるカタルーニャのアウグスティ・カルベットという作家は、自分がもしロビンソン・クルーソーのような目に遭ったのなら、無人島にはせめて2冊の本を持っていきたいと、そのうち1つにプンペウ・ファブラの辞書をあげている。プンペウ・ファブラとは、『カタルーニャ語辞典』(1932年出版)を編纂した人物である。田澤耕『〈辞書屋〉列伝 言葉に憑かれた人びと』(中公新書)を読むと、長らくスペインから自治権を奪われていたカタルーニャ人にとって辞書編纂が、自分たちの言語を継承するためいかに重要な事業であったかがうかがえる。