幸せになりたい。
どうすればいいかなあ。
まずお金はほしい。彼女もほしい。いい車もほしい。趣味に使う時間と場所もほしい。ほしいほしい。
でも昔話で、たいていこういうのを全て手に入れた長者は、幸せじゃないんだよな。


吉田覚『働かないふたり』は、そこそこいい年のニート兄妹の話です。
1から4ページのショートショートで、引きこもって二人が一日過ごす。それだけを描いたマンガです。
お金はない。あるのは膨大な時間だけ。
なぜかそんな二人が幸せそうで仕方ないんだよ、このマンガ。

君たち、焦りとか苛立ちとかないの?

何をやっているかというと、二人でゲーム。ひたすらゲーム。そして朝の9時くらいに寝る。昼夜逆転生活。
妹「起きてすぐにゲームなんて、幸せだねー」
兄「ダメ人間、ここに極まれりだなあ」
あれ、イメージしていたニートの悩み苦しみ重み、ありません。

作品の「ニート観」が、ちょっと変わっています。


まず、ニートには二種類あるという認識。
兄は秀才で万能。友達も多く家に遊びに来ます。車の免許も持っています。普通に外に出かけられます。妹いわく「ニートの中でもエリート、エニート」だそうです。

一方妹は重度の対人恐怖症。家族以外と話すことができない。頭はそんなにおよろしくない。外見はかわいく胸も大きいけれども、女子力はマイナス級。そもそも家から外に出られない。
前者(エニート)は自主的にニート活動に励んでいます。

しかし後者は、引きこもりにならざるを得ない。

次に、ニートマンガというジャンル(今ぼくが考えた)においては極めて珍しく、家族描写が多い
ニート引きこもりキャラは、ルサンチマンの塊みたいになっていることがテンプレートの一つになっているので、両親は叱りつけてくる(でもいないと困る)的なポジションに置かれがちです。
ところがこのマンガの兄妹と両親、めちゃくちゃ仲がいい。母は厳しく叱りつつも娘のために数万するコートを買ってやり、だらける兄に文句を言いつつも見守っています。
父親はあまり「働け」とは言いません。
妹が「家の中で合宿ー」などおかしなことを言い出しても、優しい声をかけます。
なんだろう? 二人の子供が家から全く出ないというのは問題のはずなのに、全然嫌な気持ちにならない。

そして、ネット環境がこのマンガにない。
ネットがあると無限に思える時間は一瞬で消滅します。おそらくこの兄妹も会話が激減したはず。
ところがネット環境がないため、二人の行動は「読書をする」「テレビ・DVDを見る」「ゲームをする」の3択になります。ゲームもオンライン対戦はしておらず、横並びの1P・2P(兄と妹)のコミュニケーションツールです。
別に昔の話なわけじゃないです。あえて作者は、ネット要素をこの作品に入れていない。

これらの要素を考えるとき、見逃せない点が一つあります。
なぜ兄がニート生活なのか? 割りと頻繁に外にも出ているようで、ただのぐうたらではない。
かなりの秀才のようですから、ネット環境の導入くらいは彼自身ができるはずです。でもしない。
なにか、わけありなんじゃないか。

兄は確かになんでもできる。ゲームもうまい。ほんと万能だな。
しかし、負ける度に感情を露わにする妹に、こう言います。
「ゲームなんてうまいかヘタかより、楽しんでやれるかのほうが大事だろ。そういう意味じゃお前のほうが、ゲーマーとしての格は上だろ」

お金はなし、能力なし、時間だけある。
けれど妹は間違いなく、ニート生活を送りながら幸せを享受している。
ネットを繋がないのも、妹といつも一緒なのも、兄なりの「幸福」探索の形なのでしょう。

基本はギャグマンガです。しかし、兄の昔の彼女の話など、ニートの部屋の外のリアルが時折見え隠れするので、油断なりません。
ある瞬間、ふとしたことでこの二人のニート生活が崩れたら?
兄はそんなシミュレーションくらいしているんじゃないかな。
というのも「働いてねぇだけで、ヒマではねぇよ」が口癖なのが、怪しい。
最初笑い飛ばしていましたが、何度も読むたびに意味深に聞こえてきます。
うーん。「幸せ」も難しいけどさ、「ヒマ」ってのも、一体なんだろうね。

『働かないふたり』

(たまごまご)