去る9月14日、第2回文学フリマ大阪が堺市産業振興センターにて開催された(主催は文学フリマ大阪事務局)。大阪での文フリは昨年4月以来、約1年半ぶりということになる。


前回、私はサークル仲間と前日より堺市に入り、観光や食をおおいに堪能したうえで翌日の文フリに参加した。今回もそのつもりでいたのだが、ホテルの予約をとれなかったり(これは、開催は連休中なのに参加が決まってすぐに手続しなかった自分が悪い)、前日・翌日と予定が入ったりで、結局、日帰りでの大阪行きとなった。最大の突発事項は、いつも一緒に参加している友人につい先日、子供が生まれたことである。さすがに奥さんと生まれたばかりのお子さんを家に残して大阪まで来させるわけにはいかんと、先方には今回は無理しないでほしいと伝えたのだった。まあ、長年サークル活動を続けていれば、こういうこともあるわけで。

幸い、もう一人のサークル仲間の都合はつき、あとで合流することになった。
もっとも、イベントが開幕してからしばらくは私ひとりですべてを切り盛りしなければならなかった。こんなことは初めてかもしれない。いつもなら友人にまかせていることも多く、あらためて仲間のありがたみを実感する。そのうえ、東京なら仕事での知人がお客さんとして来てくれることも多いが、大阪はまだまだアウェイ。本が飛ぶように売れることもなく、一人寂しくお客さんを待っていたところ、昼すぎぐらいに、京都在住の杉村啓さんが来てくれたのはうれしかった。今回、「はてなブログ」が出店しており、杉村さんはそこに同人誌『醤油手帖』を委託販売していたのだ。
ちなみに最新号はポン酢特集号でありました。

そんな事情もあって、今回は十分に会場を回りつくしたとはいいがたいが、それでもこれぞという本はいくつか見つけることができた。ここではそのうちのいくつかを紹介したい。なお、各紹介の冒頭には本のタイトルとともに、カッコ内にその本を販売していたサークル名を示した。

■『堺の怖い話・不思議な話 鉄方堂/著「沙界怪談実記」より』(ふしぎあん)
ご当地・堺と関連あるものということで、まずはこの本を。これは堺を舞台とする怪談を集めた『沙界怪談実記』という江戸時代の書物(1778年刊)を、現代語訳したものだ。


現代の感覚からすると、怪談というと霊が出てきて云々というのを思い浮かべる。だが本書には餓死した老人の祟りといった話も出てくるものの、どちらかというと妖怪譚が多い。なかには教訓めいた話もある。たとえば、ある川では毎年人が必ず死んだ。事故が起きるのは、荒れた海から海水が逆流して渦を巻き、川底が深くえぐられた場所だった。人々は事故は、その川底に潜む河童の仕業と考え、川の流れをよくするため整備する。
それからというもの事故は起きなくなったという。

一方では、堺から長崎に向かう船が海上で雷にあったあと、食料用に積んでいた漬け物が一本もなくなっていたので、船員たちは雷様が盗ったのだろうと笑い合っているうちに長崎に着いたという、何だかほのぼのとした話も出てくる。いずれも怖いというよりは、世に起こる不思議な話を集めたという印象を受ける。これらの話を当時の人たちはどんなふうに読んでいたのだろうか。

■『妖魅雑考 奇珍怪』(七妖会
妖怪の本をもう一冊。こちらは、蟇仙・鎌鼬・河童といった妖怪について考察したもの。
そこでは、さまざまな文献のほか、マンガ・アニメやゲームが参照され、時代を追うごとに妖怪のイメージも変わってきたこともうかがえる。

本書に登場するうち鎌鼬は、いつのまにか皮膚に刃物で切ったような傷ができる現象、およびそれを引き起こすとされる妖怪を指す。もともとこの現象は「構太刀(かまえたち)」と呼ばれていたが、各地に伝わるうちに「カマイタチ」となり、それがもともと妖怪視されていた動物のイタチと合成されることで「鎌鼬」になったとの説もあるという。現象がキャラ化していく過程が面白い。

本書には、本文のほか表紙にも著者のピエール手塚さんによる妖怪画が描かれている。これらはLINEスタンプとしても販売中だとか。


■『別冊BOLLARD TUNNEL』(カトリ企画
演劇の上演台本である戯曲も、立派な文学ジャンルである。それにもかかわらず、その読者というのは、小説とくらべると圧倒的に少ない。出しても売れないから、最近では戯曲の出版は避けられる傾向にあるという。そのなかにあって、戯曲って面白いじゃんと思わせるのが、『別冊BOLLARD TUNNEL』だ。

毎回、演劇に携わる人にフォーカスするという同誌の第1弾では、演劇ユニット「iaku」を主宰する劇作家・演出家の横山拓也をとりあげ、その作品2本を収録、横山へのインタビューや上演時の演出家や俳優の寄稿・コメントもあわせて掲載している。収録作の一つ「人の気も知らないで」(2013年の第1回せんだい短篇戯曲賞大賞を受賞)は、コーヒーショップでのOL3人の会話だけで成立した作品だ。最初は他愛もない会話をしているのだが、話が進むうちに、彼女たちの同僚(会話のなかに登場するのみ)が交通事故で片腕を切断したことが明かされる。ときに口論を繰り広げる3人の会話から浮き彫りになるのは、他人を理解することの難しさ(まさに「人の気も知らないで」)だ。そのことは終盤へ来てOLの一人からの思いがけない告白によって、さらに強調される。テーマとしては重いところもあるが、会話自体は関西弁で小気味いい。

■『日常想像研究所 2』(NEKOPLA
エキレビの文フリレポでは毎回のようにとりあげているNEKOPLAさん。今回の新刊ではとくに、郵便についてとりあげたいくつかの文章が興味深かった。たとえば「ポストの時刻表」という文章では、市中のポストの集荷時間から、取集車の巡回ルートを見出そうとする。これはようするに、鉄道の時刻表から鉄道の運行状況を読み取るのを郵便にあてはめたものだ。あるいは、郵便事故で行方不明になった郵便物はどこへ行くのかという疑問に対し、「『郵便次元』に入りこんだ」との仮説を立てているのも愉快だった。「郵便次元」とは、まるで現代思想用語みたいじゃないですか。

■『樹林』vol.593(大阪文学学校
文学フリマでは、昔ながらのプロ志向の強い同人誌も手に取ることができる。大阪でいえば、大阪文学学校の機関誌『樹林』はその代表格といえるだろう。同誌では毎年一回、在校生から作品を募集し、それを生徒代表が選考して掲載作品を決めた「在校生作品特集号」を発行している。各作品ごとに付された選考評からは、その作品のいいところ、惜しいところがきわめて具体的に書かれていて参考になる。なかには、小説の真髄を示唆するものもあって、同誌vol.593(2014年6月発行)のある小説の選評での、《たとえば、孤独を表すのに、〈孤独〉と書いてしまえば、そこまでです。前にも後ろにも薦めない。辞書にある〈孤独〉でしかない。(中略)あらゆる言葉を取捨し、登場人物の想いの複雑、繊細、あるいは単純、そして関係性を織っていくことが小説という媒体の存在できるひとつの魅力だと思います》との一文など、深く納得させられる。

この大阪文学学校の出身者には、田辺聖子をはじめプロの作家となった人も数多い。最近だと、今年1月に直木賞を受賞した朝井まかてがいる。朝井も『樹林』に掲載された「われた、勝手につき」が実質上の処女作だという。じつは朝井のプロデビュー作となる「実さえ花さえ」(現在は『花競べ』というタイトルで文庫化されている)は、このときの掲載作を大幅に加筆・修正して小説現代長編新人賞に応募したものだった(結果、奨励賞を受賞)。

今回の文学フリマ大阪の開催前、文学フリマ事務局から、文学の公募新人賞の応募要項について「同人誌や非営利のウェブサイトでの発表作品も応募可」とするよう改正を求める署名の呼びかけがなされた(現在も継続中)。これに対しては、エキレビでもおなじみの書評家の杉江松恋さんが、その趣旨に賛同しかねる理由をツイッターで表明するということもあった。

公募の新人賞ではないものの、芥川賞・直木賞の選考対象には、同人誌に掲載された作品も含まれている。だとすれば文芸誌などの新人賞でも、同人誌に発表した作品を応募可としてもいいのではないか、と考える向きもあるだろう。ただ、芥川賞・直木賞でも、最近では同人誌から候補作があがることはほとんどない。そもそも両賞で同人誌作品も候補対象となっているのは、文芸各誌が新人賞を開設する以前、同人誌が新人作家の修業の場として機能していた時代のなごりだろう。そう考えると、旧来の文芸同人誌と、趣味的な同人誌とを同じ土俵にあげていいものかという疑問も浮かぶ。

いつもお世話になっている文学フリマ事務局の呼びかけに反論するのは心苦しい。だが、現状からいって最善の策は、杉江さんも提案しているとおり、たとえ同人誌やネットに既出の作品であっても、あきらかな改稿作であれば承認するというふうに募集要項を改めることではないか。すでにそうしている文芸誌も存在し、現に朝井まかてのようにそれでデビューを果たした作家もいる。結局、プロになれる人というのは、同人誌掲載で満足することなく、さらなる高みを目指して努力のできる人なのだろう。

文学フリマ大阪の第3回は、すでに来年、2015年9月20日(日)に今回と同じく堺市産業振興センターでの開催が決まっている。冒頭に書いたように今回は残念ながら日帰りとなったが、次回はぜひ泊まりで参加したいと思う(今度は早めに宿泊先の予約をしないと!)。なお再来月、2014年11月24日(月・振替休日)には東京流通センターにて第19回文学フリマの開催が予定されている。詳細は文学フリマの公式サイトを参照のほどを。
(近藤正高)