日本で有名人になった証しというか、ステータスとなっていることはいくつか思いつくが(たとえば『徹子の部屋』に出る、とか)、そのなかには、篠山紀信に自分の写真を撮ってもらうというのも入れていいだろう。その篠山の手になる有名人の写真を中心に構成された展覧会が現在、2カ所で開催されている。


一つは、名古屋の松坂屋美術館で年明け1月18日(日)まで開催中(1月1日は休館)の「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」だ。2012年で熊本で開催されたのを振り出しに、これまで全国各地を巡回してきたこの展覧会では、篠山が半世紀にわたり撮り続けてきた厖大な作品から選りすぐりのものを、「GOD 鬼籍に入られた人々」「STAR すべての人々に知られる有名人」「SPECTACLE 私たちを異次元に連れ出す夢の世界」「BODY 裸の肉体――美とエロスと闘い」「ACCIDENTS 2011年3月11日――東日本大震災で被災された人々の肖像」と5つのテーマに分けて展示している。

展示された写真はどれも大きい。なかには写真集や雑誌などで以前目にしたものもいくつかあったが、やはりサイズが違うと印象が変わる。「BODY」のコーナーに展示されていた宮沢りえのヌードなど、神々しさすら感じる。

美術家の森村泰昌はかつて、篠山の写真の特徴として、輪郭が鮮明で「パッキリとした感じ」を持つことをあげていた。
それこそがほかの日本の写真家にはない、篠山の写真家としての資質だというのだ(『太陽』1993年11月号)。その資質は大きく引き伸ばされることで、より際立つ。森村は、その「パッキリとした感じ」は日本人には強すぎるとも書いているのだが、たしかに篠山の写真はときに毒々しい印象すら抱かせる。このあたり、アメリカのポップアートの旗手アンディ・ウォーホルが、独特の色のセンスで有名人などを描いたシルクスクリーン作品とも似たものを感じる。

いま一つ、この展覧会で特筆したいのは、展示作品の配置が制作年順にはなっていないことだ。「STAR」のコーナーでいえば、70年代の王貞治も、80年代の宮崎美子も、90年代のビートたけしも、00年代の安室奈美恵も、10年代の浅田真央も、一切がシャッフルされて同じ壁に並べられている。
篠山ぐらいのキャリアがあれば、大回顧展と銘打って、初期作から最近作まで順を追って展示していくこともできるはずなのに、それをやらないのは、篠山自身がまだ“歴史”になりたくないからではないか。

会場ではまた、それぞれの写真についてパネルなどによる説明は一切ない。入場時に渡される出展作一覧にも、モデルの名前や撮影年など必要最低限の記載があるだけだ。これは、まず何より写真を見てほしいということなのだろう。さらに、よけいな説明を省くことで、観覧者がおのおのの記憶と突き合わせたりする余地も生まれる。私は残念ながら一人で観に行ったためできなかったが、友人と行っていたらきっと、「この吉永小百合の写真は、100本目の出演映画『つる ―鶴―』に出たときのもので……」などとウンチクを垂れまくっていたに違いない。


写真のみでシンプルに見せるという篠山の趣向は、現在開催中のもう一つの展覧会、神戸の横尾忠則現代美術館で開催中の「記憶の遠近術展~篠山紀信、横尾忠則を撮る」(会期は次の日曜の1月4日まで。ただし12月31日・1月1日は休館)でも踏襲されていた。

この展覧会は、画家の横尾忠則が、自分に影響を与えた人物たちと一緒に撮った写真を集めたものだ。これらは、1960年代から70年代にかけて、雑誌連載や書籍の企画として断続的に撮られてきたもので、1992年になって『記憶の遠近術』という写真集にまとめられた。そこに登場するのは、横尾の憧れの著名人のほか、彼の人生における恩人たちやあるいは記憶に残る場所だ。

今回の展覧会にあたり、当初、横尾は自分の作品や関連資料も一緒に並べて、「写真による自伝」というストーリーをより浮き彫りにしようと考えていたらしい。
だが結局は先述のような篠山の趣向が採用されることになったという(『記憶の遠近術~篠山紀信、横尾忠則を撮る』図録)。というわけで、ここでもパネルなどによる説明はできるかぎり排除され、観覧者は出展作一覧を手がかりに会場を見てまわることになる。

「篠山紀信展 写真力」では亡くなった著名人を特集したコーナーが設けられていたが、「記憶の遠近術」展の写真にも、手塚治虫、石原裕次郎、大島渚、川上哲治などすでに物故した人物の姿が目立つ。折しも同展の会期中には高倉健が亡くなり、会場に展示された横尾との写真には喪章のリボンが添えられていた。もちろん、長年有名人を撮り続けていればそういうことがあってもおかしくはない。だが篠山は、撮影した相手がその直後に期せずして亡くなるという事態にたびたび遭遇してきた。
作家の三島由紀夫はまさにそのケースにあたる。

三島の写真は「写真力」展にも「記憶の遠近術」展にも出品されている。いずれも1968年撮影と時期が重なるばかりでなく、「七生報国」と書かれた鉢巻を頭に締め、ふんどし姿で日本刀を持って、ボディビルで鍛えた体を惜しげもさらしているところまで同じだ。「記憶の遠近術」ではそんな出で立ちの三島と、詰襟の学生服姿の横尾が一緒にフレームのなかに収まっている。まさかその2年後に、三島がこのときと同じ鉢巻を巻いて、自刃しようとは篠山も横尾も予想していなかっただろうが……。

なお、「記憶の遠近術」の写真の一つで、三島は左腕で横尾の首を締めるようなポーズをとっている。
その右手には鞘から抜いた刀を持っているだけに、まるで生首を抱えているかのようだ。見方によっては、三島の真摯な態度をからかっているようにもとられかねない演出だが、それが成立したのも、三島と横尾と篠山のあいだに信頼関係があったからこそではないか。

同様のことは、「写真力」展での東日本大震災の被災者を撮った写真からも感じられた。震災発生から50日後と、まだ日の浅い時期に被災地をまわって撮られたというそれら写真は、やはり人々との信頼関係なしには成り立たなかったことだろう。

「写真力」展会場の出口付近には、写真力という言葉に込めた意味について篠山自身が書いた小文が掲示されていた。それによると、写真力とは《時空や虚実を越えて、脳裏に強くインプットするイメージの力》だという。しかし、そんな力を持った写真はめったに撮れるものではないとも篠山は書く。それでも彼はあらゆる努力を惜しまない。

《被写体へのリスペクト、その場の空気を正しく読み、自分の感性を最大限にヒートアップさせる。/すると偶(たま)に神様が降臨する。そりゃ、すごいぞ。そこで撮れた一枚は、その人への想いはもちろん、時代や自分史をも思い起こさせる力になってしまうんだから》

と、さらりとすごいことを言ってのける写真家は、この12月で74歳となった。それでも彼は、生きたまま歴史や伝説となることを良しとせず、生涯現役を続けるつもりで、きょうもおそらくどこかでカメラを持って飛び回っていることだろう。
(近藤正高)