胸が熱くなるものを読んでしまったなー!
《文學界》2015年2月号(文藝春秋)に掲載された又吉直樹さん(ピース)の小説「火花」のことです。
2015年の年明けからTVで話題になったし、書店では掲載誌が売り切れるという異例の事態となった。

もうあちこちでさんざん語られているので少々出遅れた観があるけど(2月上旬にはつぎの3月号が並び、2月号は店頭から姿を消すだろうし)、単行本が出るまでには少し間があるので、やっぱりどうしてもこれ、書いておきたい。

中篇小説「火花」の冒頭で、〈僕〉徳永は20歳の夏に、熱海で4歳年上の「神谷さん」と出会う。
〈僕〉は同じ関西出身である相方の山下と「スパークス」という漫才コンビを組んでいて、俳優中心の在京の小さな事務所の唯一のお笑い部門だった。神谷さんは大阪の大手事務所に所属し、大林さんという相方と「あほんだら」というコンビを組んでいる。
 無名に近い駆けだしの両コンビは、熱海の花火大会の営業でたまたまいっしょになったのだった。スパークスの漫才なんかだれも聞いていなかった舞台で、「あほんだら」はおそろしくパンクな漫才をやって、お客さんを引かせて注目を集める。
舞台終了後の神谷さんの笑顔の〈無防備な純真さを、僕は確かに恐れていた〉。
居酒屋で神谷さんと飲んでいるうちに、徳永は神谷さんに〈弟子にして下さい〉と頭を下げていた。それを受け容れた神谷さんは〈僕〉に〈俺の伝記を作って欲しいねん〉と言う。
神谷さんは舞台にいるときだけが漫才師なのではない。24時間×365日漫才師という全身芸人なのだった。

〈漫才師である以上、〔…〕あらゆる日常の行動は全て既に漫才のためにあんねん。
だから、お前の行動の全ては既に漫才の一部やねん〉
〈自分が漫才師であることに気づかずに生まれてきて大人しく良質な野菜を売っている人間がいて、これがまず本物のボケやねん。ほんで、それに全部気づいている人間が一人で舞台に上がって、僕の相方ね自分が漫才師や言うこと忘れて生まれてきましてね、阿呆やからいまだに気づかんと野菜売ってまんねん。なに野菜売っとんねん。っていうのが本物のツッコミやねん〉

このような純粋ないわば芸術至上主義者を主役として立て、語り手をその人物に弟子入りさせて観察させることによって、この小説は異様な緊張を孕むことになる。
なにしろふたりのやり取りも、地の文での徳永の思考も、漫才の一部であろうと志向するのだ。そうなると、いっしょに歩いていても酒を飲んでいても、一瞬後になにが起こるかわからない武道の立ち会いのような「張った」感じになる。

いや、語り手の徳永のほうは神谷さんへの愛着があるので、緊張一辺倒ではなくどこかでリラックスしているはずなんだけど、僕ら読者はね、一行後になにが起こるのかわからない小説を読んでいるわけで、2段組で70頁(ふつうに組んだら120頁くらい?)の短い小説なのに、なにも読み落とすまいと異様に時間をかけて読むことになる。
こうして冒頭数頁で、「火花」は読者の体の構えをチューニングしてしまうのだ。読み終わったあと、充実した疲労感が襲ってくる。

さて、ペーター・ハントケに『観客罵倒』という戯曲があり、筒井康隆が「読者罵倒」というパロディ短篇を書いている(文春文庫『原始人』、角川文庫『日本以外全部沈没』で読める)。
「火花」冒頭の「あほんだら」はある意味、『観客罵倒』的な台詞をマシンガンズふうの勢いでやっているので(ただし関西弁)つい誤解してしまったけど、「あほんだら」は東京に出てきて(それは「進出」と呼ばれるものではなくて、いわば賭けだ)、いわゆる正統派の漫才もできるのだった。
ただ、その正統派ストロングスタイルの漫才は、その舞台を降りたときに額縁に収められて完結するものではなく、その漫才全体が、じつは「神谷さんの一生」という長ーい漫才のなかで、ひとつの「フリ」として機能しているのだ、ということが、読んでいくとわかる。


印象的な場面のひとつに、神谷さんと徳永とが井の頭公園でベビーカーと出くわす場面がある。赤ん坊は〈獣のような大きな声〉で泣いており、若い母親はなす術もない。
その赤ん坊を前に神谷さんはなにを言うか。
〈尼さんの右目に止まる蠅二匹〉
その意図を訊いてみると〈昨日考えた、蠅川柳である〉。〈いや、笑うわけないやろ〉と徳永は言うが神谷さんは調子を変えず蠅川柳を続ける。
〈恩人の墓石に止まる蠅二匹〉
〈僕は蠅きみはコオロギあれは海〉
〈蠅共の対極に居るパリジェンヌ〉
〈母親の御土産メロン蠅だらけ〉
前衛もいいところである。
いっぽう徳永は、恐怖に怯える母親を気づかう意味もあり、〈いないいないばあ〉をやってみるが、子どもは泣きやまない。
神谷さんは徳永の〈いないいないばあ〉を、〈あれは面白くないわ〉と評する。
〈自分の作品の受け手が赤ん坊であった時、それでも作品を一切変えない人間はどれくらいいるのだろう。過去の天才達も、神谷さんと同じように、「いないいないばあ」ではなく、自分の全力の作品で子どもを楽しませようとしただろうか。〔…〕神谷さんは誰が相手であってもやり方を変えないのかもしれない〉。
やがて徳永がやってるスパークスにTV深夜のレギュラーというチャンスがやってくる。

TVに乗せることができる芸、というものは、やはりある制約の下に置かれる。〈「いないいないばあ」を知った僕は、「いないいないばあ」を全力でやるしかない〉。それは敬愛する神谷さんのポリシーに反することだった……。

ここまで書けば、「火花」が近代小説の一ジャンルである「芸術家小説」に属することがわかるだろう。作曲家(ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』)、建築家(幸田露伴『五重塔』)、詩人(中島敦『山月記』)など、アーティストの栄光と悲惨だったり、ワナビーの悲しさだったり、といったものが近代小説では書かれてきた。
神谷さんは究極の芸術至上主義者ではあっても、『山月記』の李徴のような自我肥大者ではないように見える。芸術至上主義者の多くは自我が肥大しているので、これはきわめて稀なことだ。
そして神谷さんの純粋さは、観客という他人をうまく遇することができない。ただただ徳永という観察者の前で輝くばかりである。

みうらじゅんは『マイ仏教』(新潮新書)第5章でこう書いている。
〈音楽でも文学でも美術でも、「何かを発表する」という「自分売買」を伴う行為は、すべて「機嫌を取る」ことから逃れられないと思います。
〔…〕「人に何かを見せたい」という気持ちと、「ご機嫌を取る」という気持ちにさほど違いはないのです〉

僕個人はこれ、まったくみうらさんが言うとおりだと思うんですよ。でもそうすると「ご機嫌を取る」ことを度外視した神谷さんの漫才は、この世界ではかなり不利かもしれない。
いっぽうみうらさんは『マイ仏教』で、〈「機嫌を取る」ふりをしながら、ひそかにキックバックを求めてしまう〉危険について、〈それが目的になってしまうと、どこかに綻びが生じてしまう〉ともいう。難しい。
じっさい表現というものは難しい。徳永は〈いないいないばあ〉で「ご機嫌を取」ろうとしたが、神谷さんの蠅川柳同様に赤ん坊にたいして無策だったではないか。表現というものは、「これが正解」ということがない。
小説には神谷さんの私生活(24時間漫才師の神谷さんには私生活という概念はないが)も語られるし、後半には徳永のコンビ・スパークスの熱い漫才場面もある。読んでいて頭に血が上ってしまう。スパークスという名前は小説の題からとったのだろう。あるいはその逆。また神谷さんは小説の終盤で、その漫才思想の赴くまま、とんでもないことをしてしまう。

僕はこのレヴューで、神谷さんの漫才思想に焦点を当てすぎてしまっただろうか? これでは僕はとても「火花」の素敵さの一部分をも伝えきれていない。
神谷さんの姿を見ていると、自分の中途半端さを思い知らされてちょっと悔しい。「火花」は読んだあと居ても立ってもいられなくなって、なにかしたくなってしまう小説なのだ。
(千野帽子)