バブル崩壊の波をまともにくらった1990年代の日本にあって、とりわけ大きな変革の嵐が吹き荒れたのが自動車業界でした。日産自動車は主力だった神奈川県・座間工場の閉鎖を決断、いすゞ自動車は乗用車市場から撤退、販売チャンネルの広げすぎなどがたたってあわや倒産かとまで言われたマツダは米フォードの強い影響下に置かれるなど、各社厳しい状況に見舞われたのです。
そんな自動車業界を動かしたのは、日米で活躍した2人の野球選手でした。

野茂を起用したトヨタの「ビッグチャレンジ」


転機となったのは1995年。日米間の自動車摩擦解消にめどがついた夏、トヨタ自動車では、創業家の豊田達郎氏から経営トップを引き継いだ奥田碩社長(のちの経団連会長)は攻め手を鮮明にします。
その新生トヨタの顔として起用されたのが、同じ95年にメジャーリーグデビューを果たしたロサンゼルス・ドジャース(当時)の野茂英雄でした。各車のCMの最後に野茂選手の投球姿が登場し「ビッグチャレンジ」と掲げられたキャッチコピーは、国内で苦戦する他社を横目に、アメリカ市場を意識しながら強気の経営姿勢を崩さないトヨタらしさを示すものと映りました。世界のトップメーカーに名を連ねるトヨタの進撃はここから始まったのです。

「変わらなきゃ」日産はイチローを起用


しかし、トヨタのライバルを自認する日産も、ただ指をくわえて眺めていたではありません。前年にシーズン安打記録を更新するなど大ブレイクしたイチローに、真っ先に目をつけたのです。

日産はイチローを野茂と同じく企業イメージキャラクターに起用。「変わらなきゃ」のフレーズを掛け声に、80年代の「シーマ現象」よもう一度と巻き返しを図ります。日産の業績向上には、さらに時間を要することになるのですが、イチローの写真が載った同社の広告看板は敵チームの本拠地・東京ドームにも掲げられ、存在感をアピールすることには成功しました。

車遍歴に見るイチローの義理堅さ


イチロー自身、CM起用の前から日産車のファンだったようで、日産の最高級車「インフィニティQ45」を愛車にしていたのは有名な話。高級車だけでなく、小型車のマーチに車両価格以上のチューンナップを加えたとも言われ、ある週刊誌では実に1000万円を超える費用がかかったとも書かれていました。そのため、イチローのマーチは価格・性能ともにフェラーリ並みだったそうです。

イチローは2001年、野茂の後を追うようにメジャーリーグに活躍の場を移すわけですが、その折にも日産の車をアメリカにも持って行ってしばらく愛用していたとか。
CMで起用された日産の車を手に渡米するところに、イチロー選手の義理堅さが感じられます。

トヨタの会見に登場したイチロー


ところで、先日の東京モーターショーで行われたトヨタのプレス発表会に、なんとイチローがサプライズゲストとして登場しました。イチローと車といえば、日産のイメージが強く、驚きを持って報道されました。
その会見では、「誰よりも前に進むためには、常に新しいことをしてチャレンジをしなくてはいけない」というメッセージを残した豊田社長とイチロー。トヨタも「変わらなきゃ」いけないというアピールだったのではないでしょうか。
野茂&イチロー (文春文庫―ビジュアル版)