朝ドラ「あさが来た」(NHK 月〜土 朝8時〜)12月7日(月)放送。第11週「九転び十起き」第61話より。
原案:古川智映子 脚本:大森美香 演出:尾崎裕和

61話はこんな話


妊娠したあさ(波瑠)がつわりに苦しんでいるところへ、新次郎(玉木宏)がうめ(友近)を伴って迎えにやって来る。
愛妻との再会と念願の妊娠を喜ぶ新次郎だったが、炭坑で働くサトシ(長塚圭史)のことが気になって・・・。


ミカンとあさ


25%超えどころか、12月4日(金)の59話は27.2%だった「あさが来た」。11週のサブタイトルは「九転び〜」だが、転び知らずという感じ。

つわりのせいでご飯のニオイが気持ち悪くなってしまうあさは、はつ(宮崎あおい/崎の大は立)から送られて新次郎がもってきたミカンに、大喜び。
酸っぱいものが食べたくなる妊婦さんに、ミカンはもってこいの食べ物だ。
ミカンの皮のニオイを嗅ぎながら横たわるあさ。はつが和歌山でミカンづくりをするという進路が、こんなところに関わってくるとは。
偶然がいい音を奏でたという感じなのだろうか。それにしてもエピソードをちょっとした小道具で繋ぐのが、何度書いたかわからないが、ほんとうにうまい。

新次郎の存在


結婚11年めにして、ようやく妊娠したあさをねぎらう新次郎。出産を後回しにして働きまくり、経済的に不安定だったお家をちゃんと立て直したことも評価する。
このドラマでの新次郎は、育メン(まだ育児してないけど)的な立ち位置のようだ。女性が子供を生み育て家事をして、男性が外で働くという定式ではないサンプルとして、あさと新次郎夫婦が描かれていることには、微妙なプロパガンダ的なニオイを感じなくもない。


小道具使いのうまさは何度も褒めたいが、あさを抱きしめ新次郎の癒しオーラ。その色男オーラは炭坑の女性までキャッキャさせるという、この手の女性主体の目線が何度も出て来るのは、ひねくれた小姑としてはそんなに毎回喜んでいられない。
けれど、それだけではないのが「あさが来た」。
炭坑までの道中、前に来た時みたいに駕籠に乗れば良かったと後悔する新次郎。その流れで、最近の交通事情を語り、世の中が西洋ふうにすっかり変わってきていることを嘆く。

新次郎は、あさがどんどん先に行くことに怯え、日本が西洋化していくことにも寂しさを覚えている。
あんなに芸事が好きなのだから、当然だろう。日本髪にもこだわっている。
彼が見せる寂しさは、どこか個人的な感傷を超えた、ちょっと深いものを感じさせる。新次郎が、消えゆくひとつの時代の象徴のようにも見えてくるのだ。

彼が、昔を懐かしみながらも、進歩的な妻についてどう新しい時代と折り合いをつけていくか、はじめて朝ドラで、幕末から描いた意味を新次郎が背負っているように思えてならない。
(木俣冬)

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