1995年7月に発売された任天堂のゲーム機、バーチャルボーイ。
「世界で初めての完全立体映像ゲーム機バーチャルボーイ誕生 左右の目に異なる映像を映すことで立体感を生み出している」と大々的にテレビCMも放送されたが、アッと言う間に姿を消してしまった悲運のゲーム機である。


次世代ゲーム機ブームの中で誕生、異色の3Dゲーム専用機


発売時期は、1990年に発売された『スーパーファミコン』の人気に陰りが見え始めた頃。1994年には『セガサターン』、初代『プレイステーション』、『3DOリアル』などの高性能ゲーム機が続々と発売され、「次世代機ブーム」となっていた。
セガサターンの『バーチャファイター』やプレイステーションの『鉄拳』など、ポリゴンを使った3Dが注目されていた中、任天堂は独自路線で新たなゲームを提案した。

ゴーグルのようなデュアルディスプレイをのぞき込むと、赤色LEDにより立体映像が見えるバーチャルボーイで勝負に出たのだ。テレビを必要としないモニター一体型のゲーム機であり、コントローラーは操作性を高めるために十字ボタンを左右に二つ配置していた。
この斬新なデザインも、すべては3Dゲームを最大限に楽しむため。3Dゲームに特化したゲーム機の登場はゲームの新たな可能性を感じさせた。


スーパーファミコンが25,000円、ゲームボーイが12,800円だったが、バーチャルボーイのメーカー希望小売価格は15,000円。適正どころか安い感じも受けるが、ユーザーはこのゲーム機を受け入れたとは言い難い状況だった。なにが失敗の要因だったのだろうか?

時代に逆行するゲーム画面 頭痛の原因にも!?


最大の売りである赤色LEDによる立体映像だが、裏を返せば赤と黒の2色(正確には赤~黒への4階調)でしか表現できないと言うこと。映像表現が豊かになっていく時代に逆行した地味な画面は、あまりにハンデが大き過ぎた。
さらに暗闇に浮かぶ赤色LEDを集中して見るゲームは、疲れ目や頭痛の原因ともなりやすくて敬遠される要因に。実際、専用ソフトのパッケージには「目の成長期にある0才~6才までは、使用をご遠慮ください」とある。

単3アルカリ電池6本で約7時間操作可能だったが、当時のハンディゲーム機、ゲームボーイに比べると電池の使用量は多い上に操作時間は短い有様だった。

こういったハード面のマイナス要素も大きかったが、なにより「3Dならではのゲームの楽しさ」を正しく伝えられなかったことが一番痛かったと思われる。

半年経たず……ゲームソフトの発売がストップ


テレビやゲーム雑誌等で紹介しても、立体のインパクトを伝えることができなかったのだ。平面で表現できるのは、赤と黒のみの地味なゲーム画面のみ。そのため、伝わるワクワク感は皆無。ある意味当然である。

そこで任天堂は、全国に試遊台を設置し、キャンペーンを展開した。
バーチャルボーイ発売の翌年、筆者は地方の家電店でゲームコーナーを担当しているが、そこにもこの試遊台はあったほど。任天堂の力の入れ具合が伺える。
しかし、体験する本人以外には画面が見えず、ゲームプレイ中に何が起こっているのかギャラリーには分からない。他者には画面が見えないから、プレイに驚くことも笑うことも出来ず、アドバイスも送れない。つまり、友達と遊んでも致命的に盛り上がらないのだ。
それもあってか、わずか5ヶ月間でゲームソフトの発売が止まってしまう。
半年持たずに事実上の撤退宣言……。結果、対応ソフトはわずか19タイトルのみとなっている。

バーチャルボーイの反省を元に、任天堂は3Dゲームの真の可能性を追求し続ける。そしてその飽くなきチャレンジは2011年発売のニンテンドー3DSでついに実を結んだ。
その意味では、ゲーム史においてバーチャルボーイの果たした役割は大きいと言えそうだ。
斬新すぎるデザイン、赤と黒の立体映像表現も20年経った今振り返ると、サイバーパンクなガジェットとして実に味わい深いものがある。
しかも、対応ゲームソフトの少なさが逆に価値を生み、ソフトによってはかなりのプレミアも付いていたりするのだ。

電気屋時代、まったく売れないバーチャルボーイ本体やソフトを超特価でセール品にしてしまったこと、そしてそれを買わなかったことを激しく後悔する筆者であった……。
(バーグマン田形)