昨年から今年の頭にかけて、かつて芸能界を彩っていた懐かしい面々がバラエティに復帰している。ヒロミ、坂上忍は代表的だが、ひときわ異彩を放っているのが若槻千夏(32)だ。
ファッション業界に身を置きながら、結婚、出産、キャラクタービジネスとさまざまな経験を経て、古巣に戻ってきた若槻。

今回はそんな彼女のデビュー当時を振り返ってみたい。

渋谷でスカウトされ「美尻」が人気に


2001年、当時はまだギャルで溢れかえっていた渋谷のシンボル、渋谷109。ここに遊びに来ていた若槻は、たまたま芸能事務所からスカウトされたという。このスカウトがきっかけとなり、成人雑誌向けのグラビアでデビュー。とにかく美しくプリッとした美尻が話題を呼び、「おしりといえば若槻」といったイメージが定着した。

天真爛漫なキャラクター、ギャルっぽいヤンチャさが受けて、グラビアの世界からテレビ、ラジオへと進出したのが2003年ごろだ。
「クイズ!ヘキサゴン」「トリビアの泉」「銭形金太郎」など、バラエティ番組を中心として活躍の場を広げていく。

元祖おばかキャラでも、実は頭がキレッキレ


復帰後の2016年2月29日に放送された「しゃべくり007」(日本テレビ系)では、自分自身を“元祖おバカキャラ”と位置づけながら、現在のおバカキャラタレントを独自の目線で分類した若槻。

その分析力がスゴイとネットを中心に大きな話題を呼んだが、そもそも若槻は当初から「おバカ」ではなかった。いくら「おバカ」を演じようとしても、根っこの「賢さ」があふれ出てしまう。それが他のバラエティタレントと一線を画す若槻千夏の武器なのだ。

当時、テレビに進出しはじめ、徐々に知名度を上げてきた若槻の存在を一躍有名にさせたのが、2004年に放映された「めちゃ×2 イケてるッ!」(フジテレビ系)である。この番組で残した名言、「(私は)バカまんじゃなくてヤリまんです!」は、いまでも若槻伝説のひとつとしてファンの間で語り継がれている。


ちなみに「ヤリまん」とは、若槻いわく「やる気満々だ」という意味で使われており、周囲の芸人やお茶の間まで爆笑の渦に巻き込んだのだった。

その後も、「おバカ」を売りにしつつ、頭の回転の速さや的確に状況を読み取りコメントする力には評価が高まり、2005年に司会を務めはじめた競馬バラエティ番組「うまッチ!」では、勉強熱心な仕事ぶりに驚嘆した人も多いことだろう。

アパレル業界に主戦場を移し、現在は芸能界復帰へ


そんな若槻はブログの女王としても名を残している。2007年にはじめたブログ「マーボー豆腐は飲み物です。」では、テレビでのハイテンション毒舌キャラとは打って変わって、冷静に言葉を綴り、ファンの質問にも実直に答えていく様子が支持を集めた。

このように、徐々にバラエティに不可欠な存在となった若槻だったが、海外で古着買い付けをはじめたり、だんだんとファッションが個性的になっていくなど、「クリエーター」寄りの方向性へとシフトした時期があった。「あれ、若槻方向転換かな?」と感じた記憶がある。


そしてついに2009年、自身のブランド「W(ハート)C」(ダブルシー)を設立。「あぁ、やっぱりファッションがやりたかったんだな」と妙に納得したものだ。

ブランドは、原宿系の若者を中心的に人気を博し、若槻自身もブランドのモデルを務めるなど、新しい路線を突き進んでいく。2012年には一般男性と結婚し、女児を出産。「W(ハート)C」から身を引いたのちも、同ブランドで活躍していたキャラクター「クマタン」のキャラクタービジネスを行っている。

じつは現在、「クマタン」は台湾で凄まじい人気がある。
現地では「若槻のキャラクターであるクマタン」ではなく、「クマタンのデザイナーの人、若槻」という印象を持たれているというから驚きだ。

ベッキーが不在の芸能界に舞い戻ってきた若槻千夏。歯に衣着せぬコメント、徹底的に研究しつくされたテレビでの立ち回り方、そして32歳とは思えぬビジュアル。

実業家として活動してくれてもいい。それは好きにやってくれてかまわない。ただ、彼女のファンである筆者としては、やはりバラエティ番組で輝いていてほしいのだ。
若槻不在のバラエティは、どこか寂しい。そしてできればまた、堂本剛との名コンビっぷりを披露してほしいものだ。
(野中すふれ)
※イメージ画像はamazonより「うそつきつなつ」若槻千夏 (著)2012年 宝島社