「てんごくってきっと こんなところ」
・とにかく おさしみが おいしい
・あちこちに ふとんとおんせんがある
・たべおわったおさらをもっていくだけで100まんえんもらえる
『このあと どうしちゃおう』大喜利形式で子供と「死」について話す方法
ヨシタケシンスケ『このあと どうしちゃおう』(ブロンズ新社)

ヨシタケシンスケ『このあと どうしちゃおう』(ブロンズ新社)は、『りんごかもしれない』 『ぼくのニセモノをつくるには』に続く“発想えほん”シリーズの第3弾。「死」をテーマにした絵本だ。


「大喜利」が想像力を伸ばす


『このあと どうしちゃおう』は、死んだおじいちゃんの部屋で、孫の男の子がノートを発見する場面から始まる。表紙に「このあと どうしちゃおう」と書かれたノートには、おじいちゃんの絵と文字で「じぶんが しょうらい しんだら どうなりたいか どうしてほしいか」がいっぱい書いてあった。

ノートには「このあとのよてい」「てんごくにいくときのかっこう」など、各項目についておじいちゃんのイメージがイラスト入りで書き込まれている。例えば……。

「こんな かみさまに いてほしい」
・しゅみがあう
・いままでの おもいでばなしを おもしろがってくれる
・「アレは かみさまのせいなんじゃない?」と もんくがいえる

「みんなにつくってほしい きねんひん」
・おじいちゃんキーホルダー
・おじいちゃんのハナウタCDベストばん
・おじいちゃんカード(88しゅるい)

1つのお題に対して「こうだったらいいのにな」という答えをたくさん並べていく。ベタからシュールまで、発想の幅はとても広い。おじいちゃんがイメージする死後で、大喜利が繰り広げられている状態だ。


「いじわるなアイツは きっとこんなじごくにいく」
・トイレが いっこしかない
・まいにち じゅうなんたいそう
・2しゅるいの まざった すなをわける

これなんか、そのまま「こんな地獄は嫌だ」というお題で使えそうな回答ばかり。読みながら「あるあるw」「これはいやだw」と笑い、「自分だったらこうがいい」を話したくなる。元の発想が自由すぎるので、子供も自分の発想を(これって変かな……)とためらわずに話しやすい。

「大喜利」の回答が秀逸だからこそ、子供が自由に想像することができる。発想力や想像力が伸びていく。面白い大喜利は教育コンテンツにもなるのだ。


きちんとふざけられる世の中


おじいちゃんの「このあと どうしちゃおう」ノートを読んだ男の子は、おじいちゃんの想像にワクワクする。「ぼくも てんごくに いくのが たのしみになってきた」と言い出す。でもそこで「ちょっとまてよ」と立ち止まる。

おじいちゃんは もしかしたら
ほんとは すごく さみしくて
すごく しぬのが こわかったのかもしれない。

だから このノートを かいたんじゃないだろうか。
たのしいことを たくさん かんがえて
しぬのが こわくなくなるように。



怖かったのかな?楽しみだったのかな?
確かめてみたいけど、おじいちゃんはもういない。
いろいろ話してみたかったけど、もう会うことはできない。

『このあと どうしちゃおう』刊行に合わせて作られたブックレットには、ヨシタケシンスケのインタビューが載っている。既に病気で両親を失っているヨシタケは、家族と「死」について話す機会がもっとあったらと語る。「縁起でもない」と避けられがちな話題だけど、もっと気楽に話せる機会があったら。

「死は茶化しちゃいけないっているムードがあるけど、世の中ふざけながらじゃないと話しあえないこともたくさんある」
「僕が思う余裕のある世の中、豊かな世の中とは、どんなテーマでも「品のあるユーモア」で、きちんとふざけられる世の中のことだと思うのです」

『このあと どうしちゃおう』を親子で読んで笑いながら、「パパだったら〜」「ママだったら〜」と死んだあとのことを話したっていい。
「死」について、あえてふざけ半分で語るきっかけになる絵本でもあるのだ。

作中でも、死んだらどうしたいか「だれかとはなしあったり ノートにかくことは きっといいことだよね」と男の子のお父さんは言う。それを聞いた男の子は「よし!」とノートを買いに行く。「かんがえなきゃいけないことが いっぱい あるなあ。」とつぶやく。

生きてるあいだに考えて、生きてるあいだにいっぱい話をしよう。2児の父でもある僕は、この本よりもっと面白い「どうしちゃおう」を考えて、うちの子をもっと笑かしてやろうと思うのだった。


ヨシタケシンスケ『このあと どうしちゃおう』(ブロンズ新社)
(井上マサキ)