時代はJリーグ開幕前夜、そして若貴フィーバーで空前の相撲ブーム。イチローはまだ無名の存在で、大袈裟に言えば93年当時の松井には巨人だけでなく、プロ野球界の未来そのものが託されていた。
1993年の松井秀喜
オープン戦打率.094とプロの洗礼を受けた松井は開幕2軍スタート。約1カ月間で打率.375、4本塁打と格の違いを見せつけ満を持して5月1日に1軍昇格。
ライバル野村ヤクルトとの一戦で即7番レフトでスタメン出場すると第2打席でタイムリー二塁打を放ちプロ初安打・初打点を記録。いきなりお立ち台に上がってみせると、翌2日には1軍7打席目でヤクルト高津臣吾から弾丸ライナーのホームランをライトスタンドに突き刺した。
だが、その後は打率.091でホームランも出ず6月20日には2軍落ち。驚くのはあのせっかちな何でも欲しがる長嶋監督が打率0割台の高卒ルーキーを2カ月近く1軍に帯同させていたという事実だ。それだけミスターは松井の素質に惚れ抜いていたのだろう。
夏の日の1993。お盆休み真っ只中の8月16日に1軍再昇格した松井は8月31日の横浜戦で同年の最多勝ピッチャー野村弘樹から圧巻の2打席連続本塁打。さらに3番に昇格した9月には4本、10月にも4本と最終的に57試合の出場ながらもセ・リーグ高卒新人記録となる11本塁打をかっ飛ばした。