現在開催中のリオデジャネイロオリンピック、競泳男子400m・200m個人メドレーにおいて、萩野公介がそれぞれ金メダルと銀メダルを獲得しました。このおめでたいニュースに列島が沸いたのは、記憶に新しいところでしょう。

さて、この個人メドレーという競技は、一人でバタフライ→背泳ぎ→平泳ぎ→自由と泳法を切り替えて泳ぎきらなければならないため、大変過酷なことでも有名。
そんな肉体に負荷を掛けるレースを戦うタフなスイマーの中で、今から16年前、一際異彩を放つ選手がいました。2000年シドニーオリンピック競泳女子400m個人メドレーにおいて、銀メダルを獲得した田島寧子です。

名言の宝庫であるオリンピック


そこに至るまでの4年間。費やした時間と重ねた努力が、途方もないものだからでしょうか。オリンピックで全てを燃焼し尽くしたアスリートによる競技直後のインタビューには、何ともいえない味わい深さがあります。特にメダリストたちの言葉となると、印象に残るものばかりです。


今まで生きてきた中で、一番幸せです。ー岩崎恭子(バルセロナ五輪・金メダリスト)
すごく楽しい、42キロでした。ー高橋尚子(シドニー五輪・金メダリスト)
ちょー、気持ちいい!ー北島康介(アテネ五輪・金メダリスト)

いずれも、日本オリンピック史に残る名言です。先述のシドニーオリンピック銀メダリストも、これらに負けない、いや、インパクトの上では上を行くのではないかというコメントを繰り出します。

初出場で銀メダルに輝いた田島寧子、しかし悔しさがこみ上げ…


シドニーオリンピック競泳女子400m個人メドレー決勝において、レース序盤からウクライナ人選手ヤナ・クロチコワがリードする中で、後半怒涛の追い上げを見せた田島。惜しくも優勝は逃しましたが、堂々の2位入賞です。五輪初出場にして見事な結果を残したわけですが、飽くなき向上心をもつアスリートの性なのか。
彼女の胸に去来したのは、嬉しさ半分、悔しさ半分の感情でした。

そんな折に、NHKの中継アナからマイクを向けられます。「どうですか?」。公営放送のキャスターらしい、落ち着いた口調での問いかけです。400mを泳いだばかりのため、肩で息をする田島。疲れているのか、一瞬、間が出来ます。

しかしその直後、「んんぁぁあ~~!!もう、悔しいっ!!めっちゃ悔しいですぅ~~!!」と一気に破顔。全力で悔恨の意を表明します。そんな彼女へ「しかしね、日本人女子選手としては、水泳では5人目のメダリストなんですよ、歴史上」と、優しく功績を讃えるアナ。が、「金がいいですぅ~~!!」と即答。何を言おうがこの時の彼女には、表彰台の一番上しか見えてなかったようです。

女優デビューした田島寧子 水泳連盟に無断だった


当時の田島はまだ19歳。
セオリー通りの優等生的発言ではなく、等身大の思いをありのまま、飾り気なく述べたことで、一躍、注目の的となります。
ちなみに、彼女がオーストラリアの地でゴールした際の4分35秒96という記録は、その後、14年間に渡って日本では破られなかったアンタッチャブルレコード。競泳選手として、間違いなく将来を嘱望される存在でした。

しかし、翌年7月。田島は誰もが予想し得ない発表をします。水泳引退と女優転身。
どう控えめに見ても、美人の部類には入らない彼女の、意外すぎるキャリアチェンジ。日本中が「えっ?」となったのは言うまでもありません。
しかも、水泳連盟に何の相談もなかったものだから、連盟上層部は相当お冠だったといいます。

最初の数年こそ、NHK連続テレビ小説『てるてる家族』などのドラマに数本出演していたものの、水泳ほど演技の才能は持ち合わせていなかったようで、2008年にひっそりと女優業の方も廃業。今は派遣社員のOLとして、どこかの会社で働いているようです。
一世を風靡したアスリートのセカンドキャリアとしては、何とも寂しい限りではないでしょうか。
今、リオの舞台で活躍する競技者たちも、第二の人生を決めるときがきたら、少なくとも、自身が所属する連盟に相談した上で選んで欲しいものです。
(こじへい)

高橋尚子夢はきっとかなう