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「人生送りバント」で長嶋巨人を支えた男・川相昌弘【プロ野球世紀末ブルース】

この時期、4番コレクターと揶揄されたミスターだが、その一方でしっかり生え抜きスラッガー松井秀喜の「4番1000日計画」を継続させていたことも驚きだ。

異彩を放っていた男・川相昌弘


そんな「全員主役の超攻撃的野球」の中、貴重な打線の繋ぎ役として異彩を放っていた男が川相昌弘である。
64年9月生まれ、82年ドラフト4位で岡山南高から巨人入団。ヤクルト、近鉄、巨人の3球団が競合して巨人が当たりクジを引き当てたわけだが、川相少年はその瞬間「何だ、よりによって巨人かよ」と思ったという。当時は原辰徳、中畑清、篠塚利夫らが全員20代の全盛期バリバリで投手から内野手に転向したばかりの自分が入り込む余地なんかない。ったくついてねぇなと。

18歳なのに顔が老けてるからあだ名は「ジイ」。年俸240万円からプロ生活をスタートさせた若手時代はなかなか出番に恵まれなかったが、7年目の89年に藤田元司監督が戻ってくるとショートレギュラーを奪い、ゴールデングラブ賞を獲得。
90年には当時のプロ野球新記録シーズン58犠打を記録。翌91年にも自己記録を更新する66犠打に3年連続のゴールデングラブ賞と誰もが認める主軸選手として定着した。

巨人を成立させていたのは川相だった


1塁手、3塁手、外野手は毎年のように強打の選手が移籍市場に出る。だが、遊撃手はそうもいかない。補強に燃える男・長嶋茂雄が監督就任しても、ショートストップだけは不動だった。
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