90s

長谷川滋利「ドラフトは就活、職業・プロ野球選手を選んだ男」【プロ野球世紀末ブルース】

余力を残しての引退…その理由は?


この余力を残しての引退理由を自著の中で長谷川は「僕はそこまで野球が好きではなかった。というより、メジャーの生活がつらくなってきた」と告白している。オフもトレーニングしなければならないし、スプリング・トレーニングでは1カ月半も家族と離ればなれ。シーズン中の遠征も長ければ2週間に及ぶから、家族の顔もなかなか見られない日々。もうそういうのがつらくなってきたのだと。

この言葉に、まだ学生時代の長谷川の発言を思い出した。90年ドラフト直前の週刊ベースボール『オリックス逆指名も「就職活動」のうち』と見出しがついたインタビュー記事内で、22歳の青年はこんな言葉を残している。
「ドラフトもひとつの就職活動ですから(中略)。プロの世界って・・・あくまで自分の考えですが、短期間でお金を稼げるところ、と思いますね。成績がそのまま金額に表れるでしょう。ただ野球をやるというだけの就職なら、社会人も一緒ですから」

まさに始まりから終わりまで、日本でもアメリカでも見事なまでに自らの哲学を貫き通して「プロ野球選手」という職業をやりきった長谷川滋利。ちなみにMLB通算517登板は、今なお日本人投手最多である。
(死亡遊戯)


(参考資料)
長谷川滋利のメジャーリーグがますます楽しくなる観戦術(ワニブックス)
プロ野球もうひとつの攻防 「選手vsフロント」の現場(井箟重慶/角川SSC新書)
週刊ベースボール(平成2年12月3日号)

※イメージ画像はamazonより適者生存―長谷川滋利メジャーリーグへの挑戦 1997‐2000

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