小沢は今年2月に19年ぶりのシングル『流動体について』を発売。さらに、フジロックの会場では9月に新曲『フクロウの声が聞こえる』と曲をモチーフとする絵本の発売が発表された。今後、待たれるのはニューアルバムの発売だろう。
完全復活をとげた小沢だが、90年代の活躍はどうであったのか。あらためてふりかえってみたい。
「東大には塾とかに行かずに入った」
90年代の小沢は、特異なテレビタレントとしても注目されていた。
彼の知名度を上げた番組のひとつに『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)がある。この番組はダウンタウンがMCを務め、これまでとっつきにくいイメージだったミュージシャンの別の顔を引き出していた。
強面な布袋寅泰や矢沢永吉などがチャーミングな一面をのぞかせたほか、エレファントカシマシ宮本浩次の変人キャラもこの番組からブレイクしている。
「HEY!HEY!HEY!」に出演した小沢は「塾とか行かないで東大」「家にはトイレが3つくらいあった」「恋人を子猫ちゃんと呼ぶ」といったエキセントリックな言動を連発し、ダウンタウンにハマりまくった。
「トイレ3つ」発言に松本人志が大ウケし、「うんこし放題やん!」とツッコんでいる。
こうした発言に加え、華奢なルックスも相まって“王子様キャラ”が誕生することになった。
小沢健二の華麗なる経歴
そして何より小沢は華麗な経歴の持ち主である。
幼少期はドイツで過ごしたのち、お坊ちゃん学校として知られる私立和光中学に進学。のちにフリッパーズ・ギターを結成する小山田圭吾(コーネリアス)と知り合った。
中学卒業後は公立の多摩高校へ進学した小沢。『前略小沢健二様』(太田出版)にある同級生の証言によれば、音楽や文学の知識が凄すぎたため、周囲から敬意を込めて「小沢氏」と呼ばれていたようだ。高校卒業後は、現役で合格した早稲田大学を蹴り、一浪して東京大学へ進む。
東大在学中に小山田らとフリッパーズ・ギターを結成し、メジャーデビューを果たす。まさに“王子様”にふさわしい華麗な経歴であろう。
順風満帆だった小沢健二だが、1998年にすべての仕事を引き上げて突如渡米し、数年間の沈黙に入る。その唐突さは、小沢のモノマネをしていたダチョウ倶楽部の肥後克広が「小沢健二のものまねで食えると思ったら、本人が消えちゃった」と嘆くほどだった。
小沢健二は“王子様キャラ”を携え、90年代を駆け抜けていったといえるだろう。
※文中の画像はamazonより痛快ウキウキ通り