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小池百合子も枝野幸男も、みんな「日本新党」だった、かつての門下生たちが激突、総選挙、そして…

日本新党は、自民党と社会党を軸とするいわゆる「55年体制」の終焉に大きく貢献したが、1994年4月に細川が首相を辞任して以降は、政界で求心力を失い、同年末には、新たに発足した新進党に合流する形で解党した。誕生からわずか2年半あまりのことであった。

しかし、大臣経験者や地方自治体の首長が数多く輩出されたことを思えば、日本新党はその後の政治に大きな影響をおよぼしたことは間違いない。人材ばかりではなく、日本新党は、さまざまな点でエポックをつくった。この記事では、それについてあらためて振り返ってみたい。なお、以下、敬称は略させていただく。
小池百合子も枝野幸男も、みんな「日本新党」だった、かつての門下生たちが激突、総選挙、そして…
浅川博忠『「新党」盛衰記 新自由クラブから国民新党まで』(講談社文庫)。日本新党のほか、1990年代から2000年代初期の新党を中心に、日本政治史を振り返る

新党誕生の1年前に依頼されていた「結党宣言」


細川護熙が日本新党を結成する発端は、1992年5月、『文藝春秋』6月号で「『自由社会連合』結党宣言」を発表したことだった。

80年代末から90年代初めにかけてのこの時期、リクルート事件や佐川急便事件など与党議員のからんだ汚職事件があいつぎ、国民のあいだでは政治不信が強まっていた。細川はそうした状況に風穴を開けるべく、既成政党とは一線を画した新党の結成を企図したのである。「結党宣言」のなかで細川は、新党の基本目標として「立法府主導体制の確立」「生活者主権の確立と選択の自由の拡大」「地方分権の徹底」「異質・多様な文化の創造」「世界平和へのイニシアチブ」を掲げた。

これより前、細川は、ソニー創業者の盛田昭夫の主宰する「自由社会研究会」に参加し、政財界人や言論人たちと現行の政治システムを変えるべく日々議論していた。前年の1991年、『文藝春秋』の編集長になったばかりだった白川浩司は、たまたまこの研究会の関係者と接触する機会があり、そこで細川と初めて出会う。その席で
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