「奇跡」という言葉を軽々しく使うのはいかがなものか?
そう常々思っているのだけれど、あれから約一週間が経ってみて、その間何度となく思い返すたびに、やはりあれは奇跡と呼ぶしかないような1日だったなぁとしみじみしている。
“SAI”が我々に見せてくれたいくつもの奇跡。まず手始めには晴れたことだ。
なんだそんなことか、と思うかもしれないが、当日の朝は土砂降りで、99%の高揚感のなかに1%の憂鬱を抱きながら会場に向かった人も多かったのではなかろうか。屋内で行われるとはいえ、フェスはやはり雨よりも晴れたほうが断然気持ちが良いし、“SAI”には埼玉のキャッチコピー「彩の国」の意味も含まれているだろうから、モノトーンの景色は似合わない。
なんとか止まないかなぁと一縷の望みをかけながら開演の刻を待っていたのだが、流石は昨年の中津川ソーラーで虹をかけたバンド。トップバッターの10-FEETのライブが始まるのと前後して見事に雨が止み、しばらくののちには太陽が顔をのぞかせた。おかげで100%フェスを楽しむモードになれたのはもちろん、屋外のけやきひろばにある、「麺屋一悟」と銘打たれた浦山一悟プロデュースのラーメン店や“SAI”とのコラボビールを販売するcoedoビールをはじめとした飲食スペースを、ストレスなく利用することができたのである。
出演者の顔ぶれも多士済々、まさに奇跡的なものであった。「こんなメンツを集められるのはあいつらだけだと思います」と細美武士(the HIATUS)は言ったが、本当にその通り。「ACIDMANがフェスをやります」と聞いて大方の脳裏に浮かぶであろうアーティストはほとんど全て出ていたし、同世代でキャリアが近いバンド以外にも、MAN WITH A MISSION、RADWIMPS、BRAHMANと、ロック好きなら誰しもが知るビッグネームが並んだ。
しかも、どのバンドもみなそれぞれの色を存分に出しつつ、_その才を見せつける激しく本気のライブをやってみせた。そこにあったのは、「主役を食ってやろう」といった野心的なマインドでも仲間の記念日をただハッピーに祝おうという空気でもなく、ACIDMANという存在を讃え、最後にステージに立つ彼らのために最高のお膳立てをしてやろうという気概であった。そのために、全力でやるのだ。なんと気高い意志。
“フェス”と謳ってはいるものの、計10本のライブは全て同じステージで行われたため、まるでライブハウスでの対バンライブをとんでもなく大規模にしたような形式だった。転換時間もそこそこに次から次へとライブが始まるスピード感とともにどんどん最長不倒が塗り替えられていくので、10時間を超える長丁場にもかかわらず体感時間はすごく短かった。ひとつひとつのライブの詳細に関してはオフィシャルサイトのリンクからクイックレポが読めるため省くが、いずれも35分の持ち時間に趣向を凝らし、アンセムやキラーチューンの中にACIDMANへのリスペクトや祝福を忍ばせていたことが印象深い。
10-FEETは事前の予定からセットリストを大幅に変更、今日はACIDMANと出会った頃の曲をやる!と気炎を上げ、それだけでなくACIDMANの面々を模した出で立ちで「赤橙」をカバーするというサプライズまで見せてくれた。
「アンナバンドニナリタイト思ッテイタケレド、蓋ヲ開ケテミタラ、全然違ウバンドニナッテマシタ」と、憧れと敬意を口にしたのはMAN WITH A MISSIONのジャン・ケン・ジョニー。
デビューした当時から付き合いがあるというTHE BACK HORNはACIDMANを「頼もしい仲間」と呼び、同じ時代を生き抜いてきた者の矜持を叩きつけるステージングを見せたし、ASIAN KUNG-FU GENERATIONは、冒頭から「サイレン」「Re:Re:」「リライト」と、『NANO MUGEN FES.』でACIDMANと共演を果たした年にリリースされた『ソルファ』からの楽曲を並べ、最も付き合いが長くインディ時代から交流のあるストレイテナーは、その当時の「ROCKSTEADY」や、大木伸夫が「その曲をACIDMANにくれ」と言うほど気に入っているという「SIX DAY WONDER」(ストレイテナーのトリビュートアルバムではACIDMANが同曲をカバーしている)を披露してくれた。
後輩枠として出演したRADWIMPSは、この日がデビュー12周年の記念日。12年前、“大大大先輩”であるACIDMANと同じレーベルからCDを出すんだ、と喜んでいた若者たちは押しも押されぬビッグバンドへと成長し、レーベルメイトとなったACIDMANを祝うべく堂々とステージに立っていた。<こんなにACIDMANを好きになっていんですか>と「いいんですか」の歌詞を変えて歌う野田洋次郎に、場内が沸く。
「尊敬する兄貴分」と大木が評するのはBRAHMANのTOSHI-LOWだ。オーディエンスの頭上に仁王立ちして歌う、畏敬の念すら覚えるような姿と、自らのライブを“おしっこタイム”と位置付けたりACIDMANの面々を散々イジリ倒す悪ふざけのギャップ。なるほど、最高の兄貴である。そんな彼はこう語った。
「2011年3月11日を境に多くのミュージシャンが口を閉ざした中、大木だけは原発のこと、戦争のこと、平和のことを語ってくれた。そしてそれ以来、毎年3月11日に彼らは福島でライブをやっている。仲間として呼んでもらったことに感謝します」
いずれのバンドも、敬意と歴史がその音に乗っている。
……と、ここまで書いてきて脳裏をよぎるのは、そもそも20年間バンドという“生き物”がその命を絶やさずに来たこと自体の奇跡性だ。「板の上でロックバンドを365日続けて、それを掛ける20しないと、ロックバンドでメンバー変わんねえで20周年なんてできねえの。マジで死ぬほど拍手してあげて」とKj(Dragon Ash)は讃えたが、その通り。バンドなんて解散してしまう場合もあるし、メンバーが欠けたりして姿を変えることだってある。ACIDMANが20年続いたことも、ほぼ同期のゲストが集ったことも、決して当たり前じゃない。きっとそんな思いを込めて、出会った当時はELLEGARDENのフロントマンであったthe HIATUSの細美は「今日、ここにいる全ての同世代のバンドに捧げます」と「Little Odyssey」を歌ったのであろう。それは間違いなく“SAI”のハイライトの一つであった。
そして最後の、最大の奇跡。それはトリを飾ったACIDMANがとんでもなく素晴らしいライブをしたことだ。フェス全体の感動的なムードが後押ししてそう感じた部分もあるにはあったかもしれないが、それを抜きにしても、ひたすらに激しくエモーショナルで、精緻で、壮大で、大木の美学と思想が詰まった、つまりACIDMANの全てが結晶になったようなステージ。SE「最後の国(introduction)」に合わせて巻き起こる万雷のクラップ、オープニングナンバー「新世界」の地鳴りのようなコーラス、「最後の星」「世界が終わる夜」という名バラード群で大木がみせた渾身の熱唱――どこを切り取っても美しいシーンが連続していく。
かつて彼らの解散危機を救い、「この人たちがいなかったら今のACIDMANはありません」と紹介されてサプライズ登場した東京スカパラダイスオーケストラの谷中と加藤を交え届けたのは「ある証明」。
アンコールはしないと前置いて、最後は、死生観や宇宙に関することなどACIDMANがずっとずっと表現し続けてきた思想と、そこにある希望を高らかに歌い上げる「ALMA」を経て、「Your Song」で締め。何度も感謝を伝えながら「もう一歩上へ!」と叫ぶ大木の言葉は、思いが溢れすぎたせいかいつもより滑らかではないが、それがいい。ふと場内のビジョンを見上げたら、佐藤雅俊が「腕がもげるんじゃないか」というくらい全力で拳を突き上げ、浦山は泣いているのか笑っているのか分からない表情で一心不乱にドラムを叩いていた。思わず目頭が熱くなる。そんな映像にこの日の会場前のファンの姿や、出演アーティストのバックヤードでの様子などがインサートされていって、気づいた。そうか。これはACIDMANの20周年を祝うと同時に、その20年間のどこかでACIDMANと出会い、その曲と歌とともに歩んできた我々のフェスでもあったのだ。
大木に倣って言うならば、宇宙規模で言えば人の一生なんて瞬く間で、ACIDMANの歩んだ20年という歳月も、ましてや2017年11月23日という日はほんの一瞬にも満たない。けれども、会場に集まった2万人一人ひとりにとってとてつもなく幸福な時間であり、いつかは終わる我々の人生の中で特別な1ページとして永遠に刻まれる特別な日だった。
来年は無理でもいつかまたやりたい、と大木は言っていた。その言葉を信じて待ちたい。
(取材・文/風間大洋)
すでに21年目の歩みを進めるACIDMAN。12月13日にはニューアルバム『Λ(ラムダ)』をリリースし、2018年4月1日(日)Zepp Tokyoを皮切りに自身6度目となる7月13日(金)日本武道館までの全国ツアーも開催する。
■『SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI”』 オフィシャルサイト