大阪のおばちゃんとフランス人の笑いのツボは一緒 林家染太とシリル・コピーニに聞く海外での落語

日本を代表する芸能である落語。落語の「笑い」は、日本と異なる言語・文化圏で、どのように受け取られるのか。
海外公演の経験が豊富な落語家・林家染太さんとフランス人落語パフォーマーのシリル・コピーニさんに、日本とフランスにおける落語の受け取り方の違いについて、うかがった。

優しく笑いを取れる落語は新鮮に映る


――染太さんとシリルさんはフランス各地を公演中(取材時3月の時点)ですが、舞台での感触について聞かせてください。日仏の観客の間で笑いのツボに違いはありますか? 
 染太 フランスで落語をする前のイメージでは、日仏で笑いのツボは断然違うと思っていました。しかし、いざ高座に上がってみると、大阪のおばちゃんの笑うツボとフランス人のツボが、まったく一緒なんです。英語で落語をするときも同じです。ボケとツッコミ、ベタな笑いというものは国境を越えると感じました。「ベタ is better」です(笑)。


――国が変われば笑いの取り方やコメディの種類も変わってきます。落語の「笑い」とはどういうものだと思いますか? 
 染太 落語の笑いは「優しい笑い」ですよね。もともとが庶民を対象にして笑いのため、そこまで難しい話をしないということもありますが、人を傷つけることがありません。そういうところは万国で共通して感じてもらえるかなと思います。以前、海外公演でお客さまに「落語というのは幸せな笑いであり魔法の言葉だ」と感想を言われたことがありました。この人は良いことを言うなと思って、それから私がその言葉を拝借しています(笑)。

大阪のおばちゃんとフランス人の笑いのツボは一緒 林家染太とシリル・コピーニに聞く海外での落語


 シリル 特にフランスの笑い、ユーモアは人を傷つけないと笑いを取れないブラックユーモアの色がとても濃いです。政治家に対する皮肉などですね。そういう環境で落語をすると、優しく笑いを取れることがフランス人にとって新鮮に映ります。もちろん、そういう笑いを「全然面白くない」と言うフランス人もいるでしょう。一方で「この笑いは素晴らしい」と言ってくれる人もいる。後者の方が多いですね。


 染太 スタンドアップコメディの観客は大人が多いです。しかし、こういう催し(記者注:今年3月にフランスのトゥールで行われた日本イベント「ジャパン・トゥール・フェスティバル」のこと)では、小さな子どもから年配者まで会場に来ている。落語ならすべての世代で笑えます。これが落語のパワーだと思います。
大阪のおばちゃんとフランス人の笑いのツボは一緒 林家染太とシリル・コピーニに聞く海外での落語


――落語の演目はいろいろありますが、海外で話すときは日本の内容をそのまま訳すのでしょうか? 
 染太 そのまま訳すことはしないです。リズム感なども大事ですし。
傾向としては、アクションが多く分かりやすいストーリー展開だと受けやすいです。物を食べる仕草などあれば、なお伝わりやすいです。

 シリル 違う文化背景を持つ人々の前で、日本人に話すように高座をしても理解は難しいです。それぞれ持っている文化背景が違いますから、言葉や状況を説明する工夫をある程度しないと面白さは伝わりません。良い例に「法事の茶」という落語があります。この演目は、魔法のお茶の葉を火鉢であぶってお茶をいれると、煙が出てきて、そこからさまざまな人が出てくるという話しです。


 染太 ある時、若旦那がお茶の葉を買ってきて「芸者よ出てこい」とあぶってお茶を入れたら、芸者ではなく、すでに他界していた若旦那の父親が現れて「遊んでばかりいるんじゃない!」と怒られてしまった。そこで若旦那は「なぜ父親が出てきたんだろう」と不思議に思い、太鼓持ちに聞くと、太鼓持ちは「そのお茶を十分に火であぶりましたか?」と若旦那にたずねる。若旦那は「いいや、時間がなかったからいい加減にあぶった」と言うと、太鼓持ちに「最近、墓参りしていませんよね? 法事(焙じ)が足りません」と落ちます。そのまま訳しても伝わりませんよね。

 シリル 無理ですね。

 染太 そこで状況を変えます。
芸者に会いたいという状況を「初恋のあつこちゃんに会いたい」と変えます。「あつこちゃん出てこい」と念じて、どんどんお茶を湯飲みに入れたら、お茶を入れ過ぎて、湯飲みからこぼしてしまった。そしたら、すでに亡くなっていた「たつこ」という名前のお母さんが出てきて「ちゃんと働かんかい」と怒られた。なぜお母さんが現れたと思いますか? Atsuko(あつこ)がTatsuko(たつこ)になったのは「Too much tea:ティー(T)が多過ぎ」だったから(笑)。

 シリル これは英語の場合ですが、フランス語でも使えます。フランス語でお茶は「テ」、フランス語のアルファベット「T」の発音は「テ」ですから。
大阪のおばちゃんとフランス人の笑いのツボは一緒 林家染太とシリル・コピーニに聞く海外での落語



落語はパフォーマンスかそれとも心か


――染太さんは日本人の視点から、シリルさんはフランス人の視点から落語を見ています。日仏の落語に対する価値観がぶつかることはありませんか? 
 染太 もちろんあります。毎夏フランス南部でアビニョン演劇祭というのが開かれていますが、それが私たちにとって一つのキーポイントでした。当時、シリルさんと、ステファンさんと言うもう一人のフランス人落語パフォーマーとその奥さん、三遊亭竜楽師匠、私で家を借りて、1カ月の共同生活をしつつ公演をしました。この演劇祭は、どんなに有名な人でもチラシを配らないとお客さまが入ってくれません。したがって暑い日中はずっとチラシを配り。その後ショーに出ます。体力的にとても大変です。そこで何回かけんかになりました。

 シリル 1カ月間フランス人と日本人が同じ場所生活すると、日仏の考え方の違いが現れてきます。難しいのが落語の上下関係などですね。

 染太 具体的に言うと、例えば全体で1時間の持ち時間あります。落語会では前座を務める後輩は先輩を気遣って、早めに切り上げて残りの時間を先輩に任せる。ある日、前座が時間を使い過ぎて、後ろに控える先輩の持ち時間がとても短くなりました。フランス人の考え方としては、先輩の持ち時間が短くなったとしても、結果的に観客が受けたら良いと思うのかもしませんが、日本人、特に噺家は一般の人以上にそういう上下関係を大切にします。落語はエンターテイメントではあるけれど、その奥には日本なりの細やかな気遣いなど、日本文化の根本に通じるものがある。少なくとも落語パフォーマーとしてやっているなら、そういう部分も理解してほしいと思ったんです。当時、仲裁に入ったシリルさんは、どちらの気持ちもくみ取れるだけに、とても困っていました。

 シリル 私個人の意見ですが、そういう意味で外国人の弟子入りはとても難しいと思っています。日本が好きで、日本語が堪能で、風習・文化に精通していても、幼い頃から日本で教育を受けたことがないと、それは無理です。もちろん「他の日本人の弟子と同じようにやれ」と言われればできます。しかし、それら意味を日本で育った人と同じように理解し、完全に納得してできるかといったら、それは困難でしょう。
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――今後、落語をどのように広めていきたいですか? 
 シリル フランスは舞台芸術の歴史が長い国。お客さまがもっとも見たいのは舞台芸術です。落語が持つ日本の精神はもちろん大切ですが、日本にまったく興味がないお客さまであったとしても、舞台芸術として落語を楽しんでいただけるようになればと思っています。

 染太 まずは、もっと日本人に広めていきたいです。漫才やコントも面白いけど落語も面白いということを体験してほしい。そして海外の人には、じつは日本人は生真面目なだけでなく、こんなに笑いが好きな人々なんだと言うことを知ってもらいたい。三つ目は落語で世界を平和にしたいです。

ニューヨークなどでの公演では、客席が本当に多様な人種で埋まります。その中には、いがみ合っている国同士の出身者もいるかもしれません。しかし落語に来ている人たちは、言葉、人種、宗教は異なっているのに一緒に腹を抱えて笑っている。落語を見ている分には、絶対に争いごとなんて起きないのではと思えてきます。私が落語をすることで、私の半径100メートルくらいは、優しい笑いに変わる気がします。その笑いが他の人にも広がって、少しずつでも良いので落語で世界が平和になればと思います。
(加藤亨延)