NHK総合の土曜ドラマ「バカボンのパパよりバカなパパ」(夜8時15分~)は、先週放送の第2回が放送途中に千葉で起きた地震の報道により中止になったため、今夜あらためて放送される。

先週は地震だけでなく、西日本の豪雨関連の報道で7時のニュースが延長された関係により土曜ドラマの前の時間帯の「ブラタモリ」が休止となった。
「バカボンの~」の第2回の冒頭には、「ブラタモリ」の放送があることを念頭に置いてか、タモリをめぐるエピソードが出てきただけに、今週2つの番組が続けて放送されるのは、むしろあるべき形ともいえる。
「バカボンのパパよりバカなパパ」赤塚不二夫の視点も交えて更に1話を検証したのだ
『赤塚不二夫120%』(小学館文庫)。赤塚が女性遍歴も含め自らの半生を赤裸々に語った自伝的エッセイ

父娘で食い違う赤塚不二夫と後妻の出会い


さて、先々週放送の第1回では、マンガ家の赤塚不二夫(玉山鉄二)が前妻の登茂子(長谷川京子)に勧められる形で再婚するまでが描かれた。これについては、先週掲載のレビューでも、主にドラマの原作である赤塚の娘・りえ子の同名書(幻冬舎文庫)を参照しながら振り返ったわけだが、せっかくなので赤塚本人の視点からもこの再婚について見ておきたい。

赤塚不二夫は著書『赤塚不二夫120%』(小学館文庫)のなかで、自身の女性関係について《ある時期から、メチャクチャ女性と遊ぶようになった。どうしてそうなったのかなぁ。とにかく、毎日のように違う女性を連れ込んでいたもの。200人や300人じゃきかないよ》といった具合にけっこう赤裸々に記している。


のちに結婚する眞知子(ドラマでは比嘉愛未が演じている)と出会ったのもこのころ(1970年代)で、当時彼女は、赤塚の友人のカメラマンのアシスタントをしており、赤塚によれば、カメラマンを交えて時々飲みに行ったりしていたという。やがて赤塚が眞知子を登茂子に紹介したところ、二人は仲良くなってしまったのだとか。

赤塚りえ子の前出のドラマ原作本では、赤塚と眞知子の出会いについてよりはっきりと、1975年に新宿の「ナジャ」という店で催された餃子パーティーで、眞知子(当時26歳)を見初めた赤塚(同40歳)がコースターに自分の電話番号を書いて彼女に渡したと書かれている。そのうちに二人が付き合い始めると、りえ子はしょっちゅう父の家へ遊びに行くようになったという。眞知子を登茂子に紹介したのも、実際にはりえ子らしい。

もっとも、赤塚の著書では、このころにはほかに付き合っていた恋人がいて、眞知子とはまったく結婚する気などなかったと書かれており、どうも話が食い違う。
単なる記憶違いなのか、あるいは照れてわざとそう書いているのか。赤塚に言わせると、登茂子はくだんの恋人のことを気に入っておらず、元夫である自分にちゃんとした生活をさせるため、代わりに眞知子と一緒になるよう勧めたという。

登茂子が赤塚の恋人についてどう思っていたかはともかく、「ちゃんとした生活をさせる」というのは、赤塚に再婚を勧める大きな理由ではあったようだ。眞知子もまた、赤塚と出会って友人になってからしばらくして、彼が風邪を引いて寝込んでいるというので見舞いに行くと、家があまりに荒れているので《かわいそうになって、恋愛感情の前に助けてあげたいと思ったという》(赤塚りえ子『バカボンのパパよりバカなパパ』)。以後、赤塚が(ドラマでもいずれ描かれるであろう)病気になったこともあり、献身的に世話をする眞知子を見て、登茂子が再婚を勧めた――というのが、どうやら真相らしい。

前妻・登茂子の恋人「キータン」ってどんな人?


ドラマでは、赤塚と眞知子の結婚記者会見に同席した登茂子が、横にいたりえ子にこっそり「これで私も再婚できる」と言う場面があった。事実、登茂子はその直後に、かねてより付き合っていた男性と結婚する。
それがドラマにも実名で登場する「キータン」こと江守清人(ドラマでは馬場徹が演じている)だ。ただし、ドラマでは、結婚前から登茂子と江守は赤塚も承知の仲であるように描かれていたのに対し、実際には、登茂子は江守と付き合っていることを赤塚には結婚するまで内緒にしていたという。

江守は、赤塚と登茂子が1965年に長女のりえ子を儲け、新居に引っ越してきたとき、2軒先に住んでいた一家の一人息子だった。ちなみに江守の父は日本テレビのプロデューサーで、ビートルズの日本武道館での来日公演の中継も手がけている。また、祖父の清樹郎は一緒には住んでいなかったが、石原裕次郎や浅丘ルリ子ら映画スターを育てた日活黄金期の名プロデューサーとして知られた人物だ。

赤塚たちは江守家とは家族ぐるみの付き合いで、引っ越してきた当時は高校生だったキータン(最初は「キヨちゃん」と呼ばれていたとか)も、大学生になると、毎週、同い年の従兄弟と一緒に麻雀をするため赤塚家にやって来たという。
さらに登茂子が赤塚と離婚して1年ほどしたころには、一人で遊びに来ては泊まることも多くなり、彼女との関係を深めていった。このころには彼は大学を卒業し、一級建築士として、建築界の巨匠・村野藤吾の事務所で働いていた。

やがて江守はそれまで付き合っていた大企業の社長令嬢と別れて、8歳上の登茂子と一緒になることを決意し、自分の母親にも宣言した。これに彼の両親は猛反対したが、それでも彼はスーツケース一つで実家を出ると、登茂子とりえ子と暮らし始める。以来、江守は父が危篤になるまでの約10年間、近所で親とすれ違っても、一言も言葉を交わすことがなかったという。

しかし先述のとおり、登茂子は江守との関係を、結婚するまで赤塚には黙っていた。
これについてりえ子は、赤塚から《養育費をもらっているから、ママも何となく切り出しにくかったのかもしれない》と書いている。結局、登茂子が江守と結婚したのは、1986年12月に赤塚の再婚を見届けた翌々年、1988年6月のことだった。それからというもの、赤塚と眞知子、登茂子と江守は、互いの家を行ったり来たりしながら親しく付き合うようになる。

玉山鉄二はどこまでバカになりきれるのか!?


ドラマの第1回では、りえ子が母の登茂子はなぜ父と離婚したのか、赤塚と昔馴染みのスナックの潤子ママ(草笛光子)に訊きに行く場面があった。潤子ママによれば、赤塚は溺愛されていた自分の母親が亡くなったとき、かなり落胆していたという。のちの離婚は、このとき、登茂子が赤塚の母親にはなれないと思ったのがそもそもの原因らしい。


原作のなかでも、りえ子が《パパの母親が死んだときにママが支えきれなかったことも離婚の一因になったようだ》と、赤塚の元アシスタントの古谷三敏から聞かされたという記述がある。

登茂子が赤塚に眞知子との再婚を勧めたのも、ドラマで描かれていたように、眞知子こそ赤塚の母親代わりになれると思ったからだった。赤塚は子供の純真な心をずっと失わなかった。それだけに母親のような存在を常に必要としていたのかもしれない。派手な女性関係も、そうした欲求の表れではなかったか。

こうして見ていくと、赤塚不二夫という“大きな子供”を演じるのはいかにも難しそうだ。第1回を見るかぎり、玉山鉄二が赤塚に寄せようとしているのはよくわかったが(笑顔とか結構似せていたように思う)、はたしてどこまで子供っぽく、バカになりきれるのか。今後の展開に期待したい。ちなみに玉山は、同じくNHKの大河ドラマ「西郷どん」に明日放送回より桂小五郎役で登場する予定だが、赤塚役からの切り替えはさぞ大変だったのではないか。
(近藤正高)

【作品データ】
「バカボンのパパよりバカなパパ」
原作:赤塚りえ子『バカボンなパパよりバカなパパ』(幻冬舎文庫)
脚本:小松江里子 幸修司
音楽:大友良英 Sachiko M 江藤直子
演出:伊勢田雅也(NHKエンタープライズ) 吉村昌晃(ADKアーツ)
制作統括:内藤愼介(NHKエンタープライズ) 佐藤啓(ADKアーツ) 中村高志(NHK)
プロデューサー:野村敏哉(ADKアーツ)
※各話、放送後にNHKオンデマンドで配信予定