日本人初のボディビルダーは若木竹丸(明治44年生)である。

元々は貧弱な坊やだった竹丸は、中学一年生のときに上級生から馬鹿にされたことで一念発起し、肉体改造をはじめる。
生まれつきの過剰な性格ゆえ、そのトレーニングは苛烈を極め、その身体はたちまち筋肉の鎧をまとってゆく。

竹丸は自らの肉体で証明したトレーニング法を秘伝書としてまとめ、27歳のときに『怪力法並(ならび)に肉体改造体力増進法』というタイトルで出版。戦後は、大山倍達や木村政彦といった格闘家らのウェイトトレーニングを指導するなど、日本の“筋肉の父”とも呼べる存在だ。

筋肉がついてくると、人は誰かにそれを見せたくなるものらしい。秋冬に電車に乗っていて、季節外れなTシャツ姿でいる人は、かなりの確率でムキムキだ。厚い筋肉のおかげであまり寒さを感じないのかもしれないが、少しは見せたい気持ちがあるでしょう? 近年の松本人志がTシャツ一枚でいることが多いのもやっぱり……。


いいね! 切れてる、切れてる!


筋肉を披露する場といえば、なんといってもボディビルコンテストだ。全国から集まったボディビルダーたちが、筋肉のサイズや美しさを競い合う。

日本でボディビルのコンテストが始まったのは、いつか?

昭和31年の「第一回ミスター日本ボディビルコンテスト」がそれだという説もあるが、それより4年早く、昭和27年に福島県でのウェイトリフティング競技会で同時開催された「ボディコンテスト」がそうだという説もある。いずれにせよ、日本に根付いてから数えても60年以上は続いている歴史ある競技なのだ。

ボディビルコンテストの会場では、観客たちからの様々なかけ声が飛び交う。そのほとんどは、選手たちの筋肉を褒め称えるためのものだ。「切れてるよ!」とか「デカい!」といった言葉は一般にも伝わって、SNSなどで使われているのを目にした人もいるだろう。


これらのかけ声が年月を重ねるうちにいろいろと進化して、どうもおかしなことになっていると、そんな噂を聞いたのはいつだったか。いずれは会場に行って、実際に自分の耳で確かめてみたいものだと思っていたが、日々の暮らしに追われて、そのことをすっかり忘れていた。

そうしたら、本が出たの。ボディビルのかけ声だけを集めた辞典。なんだそれ。そんなの買うに決まってる。


こんな企画を出版に踏み切ったのはスモール出版。『みかんの面白いむき方大百科』とか、『ダムカード大全集』とか、『R&B馬鹿リリック大行進』とか、最近では『高橋ヨシキのサタニック人生相談』などといった、ひと癖ある本ばかりを手がけている出版社だ。

二頭がチョモランマ!


その本とは『ボディビルのかけ声辞典』。そのまんまなタイトルだ。
「二頭がチョモランマ」なぜか出版された『ボディビルのかけ声辞典』になぜか食欲をそそられる

[Chapter1]ではボディビルの基本と、大会のルールを紹介し、さらに男女それぞれの規定ポーズを解説している。これらのことを頭に入れておけば、大会の鑑賞がより深く楽しめるというわけだ。

そしていよいよ「かけ声」の紹介である。
まず[Chapter2]では「ほめる編」と題して、よく使われる基本的な褒め言葉が紹介されている。でも、基本といっても「ナイスバルク!」とかだったりして、知らなければ「?」となる。

バルクというのは、筋肉の厚みのことで、ナイスバルクだったら「厚みのあるよい筋肉」という意味なのだそうだ。もちろん、このとおりに言わなければいけないわけではなく、「上腕のバルクがすごいよ!」というように、自分なりにアレンジしてもよい。

[Chapter3]は「例える編」。ここからどんどんディープな世界に突入していく。
ページをめくっていきなり現れるのは「肩メロン!」。

えーと、どういう意味?

解説によると、「肩が盛り上げっているだけではなく、浮き上がった血管のスジも相まって、『まるでメロンのようだ』という意味」なのだそうだ。それに続く「二頭がチョモランマ!」も、上腕二頭筋の力こぶを世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)に例えたものだという。

最終章の[Chapter4]は「超上級編」で、ここまでくるともはや褒めているんだかなんだかわからないものが中心になってくる。読む楽しみを奪ってはいけないので詳細は控えるが、ひとつだけ、帯に書かれているものを紹介しよう。それが「肩にちっちゃいジープのせてんのかい」だ。


……これはいったいなんだろうか。意味がわかる、わからない、という以前に、ちょっと触れたことのない言語感覚にクラクラしてくる。

二頭がチョモランマ!


この本をめくっていると、どうにもお腹が減ってくる。無性に鳥の唐揚げが食べたくなる。随所に掲載されているボディビルダーたちの日焼けした姿が、どこか唐揚げに似ているからだと思ったのだが、[Chapter3]と[Chapter4]のあいだに掲載されている「ボディビル用語集」を読んで、その理由がわかった。

ボディビルダーの筋肉にはそれぞれ名前がある。例えばふくらはぎは「カーフ」、太ももは「サイ」、背中の筋肉は「ラット」という具合に。そしてぼくは学生時代、ケンタッキーフライドチキンでアルバイトをしていた。出勤した初日に先輩から言われたのは、チキンの部位を覚えろ、ということだ。

胸肉は「キール」、あばらは「リブ」、腰は「サイ」、手羽は「ウィング」、ももは「ドラム」。ボディビルダーを見ているとフライドチキンが食べたくなる気持ち、わかっていただけただろうか。
(とみさわ昭仁)