今年で40周年を迎えた日本テレビ系「24時間テレビ 愛は地球を救う」(今夜6時30分〜)。今夜9時頃からは24時間テレビドラマスペシャルとして「ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語」が放送される。
主人公の石ノ森章太郎は、『サイボーグ009』『仮面ライダー』などの作品を生んだマンガ界の巨匠で、今年がちょうど生誕80年および没後20年にあたる(彼は1986年以前は「石森章太郎」のペンネームを用いていたが、この記事では「石ノ森章太郎」で統一する)。今回のドラマでは、その石ノ森をSexy Zoneの中島健人が演じる。
24時間テレビスペシャルドラマ「ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語」姉への想いと赤塚不二夫との友情
サンエイムック『石ノ森章太郎の物語』(三栄書房)。石ノ森章太郎が自分自身を登場させたマンガをフィーチャーした作品集。手塚治虫の思い出をつづった「風のように……背を走り過ぎた虫」などを収録

家族で唯一の理解者だった姉


ドラマでは、今年の24時間テレビのテーマ「人生を変えてくれた人」に合わせて、石ノ森と姉・小野寺由恵(ドラマでは木村文乃が演じる)との関係を中心に描かれるようだ。

石ノ森章太郎(本名・小野寺章太郎)は、宮城県の片田舎──のちにペンネームとした石森(いしのもり)町(現・登米市)に生まれ育った。終戦直後の本に飢えていた時代、3歳上の姉・由恵の提案で、家中から不要な紙を集め、姉が文章を書き、彼が絵を描いて雑誌をつくった。それが石ノ森にとってマンガの描き初めであり、以来、彼は姉に見せるためだけにマンガを描くようになったという。中学に入ると「毎日中学生新聞」や雑誌「漫画少年」に猛然と投稿を始めた彼に、両親は渋い顔をしたが、姉だけは理解者だった。


高校時代、すでに雑誌「漫画少年」で連載をもっていた石ノ森は、卒業後は東京に出て、マンガを描きながらその収入で大学に行くつもりでいた。しかし地元の大学に入ってもらいたい父親とは真っ向から対立する。上京の日は姉だけが雨のなか見送ってくれた。1956年春のことだ。

のち、石ノ森は有名なトキワ荘に入居してからしばらくして、姉を郷里から呼び寄せている。子供のころから体が弱く、小児喘息が持病だった彼女のため、東京ならいい病院がきっとあるのではないかと思ってのことだった。


姉はかなり体調が安定しているときで、四畳半の部屋で一緒に暮らした1年近くのあいだ、大きな発作は一度も起きなかったという。トキワ荘のマンガ家仲間からも歓迎され、彼女も田舎にはない刺激を感じていたらしい(石ノ森章太郎『絆 不肖の息子から 不肖の息子たちへ』鳥影社)。

トキワ荘の仲間のひとり藤子不二雄A(ドラマでは佐久本宝が演じる)は、石ノ森の姉によく本を貸していたという。そのたびに「章太郎はマンガ家として大丈夫でしょうか?」と訊かれるので、藤子は「もし僕がダメになっても、小野寺氏は絶対に大丈夫でしょう!」と答えると、彼女はとてもうれしそうにしていたとか(『生誕80周年記念読本 完全解析! 石ノ森章太郎』宝島社)。

しかし、幸せな日々は長くは続かなかった。くわしくはきっとドラマで描かれることだろう。


赤塚不二夫との友情


さて、トキワ荘の仲間のなかでもとくに石ノ森と関係が深かったのが、赤塚不二夫(ドラマでは林遣都が演じる)である。何しろ二人はトキワ荘に入る以前、「漫画少年」の投稿者として互いに名前を知り、やがて東日本漫画研究会を結成して「墨汁一滴」という会誌を出していたころからの付き合いだった。

石ノ森は、東京に出てきてまず、新宿区西落合の二畳半の「ハト小屋のような」部屋に入居した。先に新潟から上京していた赤塚は、このころ江戸川区の小松川の工場に勤務しており、引っ越しの作業も手伝ってくれた。

この西落合の二畳半で石ノ森が食中毒を起こして寝込んでいるのを、訪ねてきた赤塚が発見し、助けたことがあった。このとき、赤塚は石ノ森を小松川の下宿先まで連れていくと、味噌汁をつくって食べさせてくれたという。

上京するまで家事を一切したことのなかった石ノ森に対して、赤塚はちゃんと自活していたのだ。
しかも工場での重労働のあと、帰ると石ノ森のために食事をつくり、さらに夜にはマンガを一緒に描いていたというのだから、当時20歳そこそこで若かったとはいえ、そのタフさに驚かされる。

その後、二人はトキワ荘に移り、赤塚が石ノ森の原稿を手伝いながら、食事の世話を続けた。このころの赤塚の仕事は、自分に向いているとは言いがたい少女マンガの単行本ばかりで、石ノ森の手伝いをするほうが楽しかったようだ。石ノ森がステレオを買いたくて、赤塚の提案で単行本を1冊描き下ろしたこともあった。新し物好きの石ノ森は、マンガで稼いでも、テレビやテープレコーダーなどにカネを注ぎ込んでしまい、家賃が払えなくなるということもしばしばだったらしい。

トキワ荘の時代の赤塚については、シャイだったと当時の仲間の多くが証言している。
それだけに、後年、彼がギャグマンガでブレイクしてからの変貌ぶりはみなを驚かせた。しかし、石ノ森に言わせると赤塚の本質はトキワ荘のころから何も変わってはいないということになる。

《シャイな内向型から、狂躁的とも思える外向型へ、作品と共に人柄まで変わった[原文では「変わった」に傍点]、と周囲を驚嘆させた後年の赤塚の“転身”は、しかしボクには意外でもなんでもなかった。『漫画少年』から「墨汁一滴」、そしてトキワ荘時代の数年、と兄弟同然に暮らしたのだ。本当に描きたかった作品、顔に似合わぬ(神経の細やかさはタイプ通りだったが)陽気な楽天性などを、よく知っていたからだ》(石ノ森章太郎『章説 トキワ荘の春』ebook)

最近NHKで放送されたドラマ「バカボンのパパよりバカなパパ」でも描かれたように、赤塚は派手な女性関係で知られた。石ノ森によれば、それも若いころからで、彼がたびたび描いた自伝的マンガ(その多くは最近出た作品集『石ノ森章太郎の物語』に収録されている)には赤塚がしょっちゅう部屋に女の子(それも毎回違う子)を連れてくる様子が出てくる。
赤塚に頼まれて石ノ森がラブレターを代筆したこともあった。

そもそも赤塚のギャグマンガでブレイクするきっかけをつくったのは、石ノ森だった。それは、秋田書店の少年誌「冒険王」でほかの作家の原稿が間に合わず、穴埋めの原稿を誰かに頼もうと編集者がトキワ荘にやって来たときのこと。翌日までにギャグマンガを描いてほしいとの申し出に、石ノ森は即座に赤塚を推薦したのだ。

こうして赤塚が石ノ森と相談しながら描き上げたのが『ナマちゃん』という作品である。掲載誌が届くと、読み切りのはずが、最後のページに「つづく」とあって、いつのまにか連載になっていた。赤塚にとって初めての雑誌連載である。連載中も、赤塚は何かといえば石ノ森にアイデアを聞いてもらっては、自信をつけたという。

マンガ家をやめようと世界を旅する


石ノ森は23歳になっていた1961年、マンガ家をやめるつもりで世界一周旅行に出たことがある。すでに仲間のほとんどはトキワ荘を出てしまっていたころだ。彼はもともとマンガを描きながら大学に行き、卒業後は新聞記者か映画監督になるつもりだったが、仕事に忙殺されるうちに忘れていたという。また、自分が本当に描きたい作品はたいがい読者から不評で、ちょっとでも観念的、哲学的な世界に立ち入るような作品は編集者から止められ、不満もたまっていた。そこでいったんゼロに戻してやり直すべく、思い切って、憧れだったアメリカとヨーロッパを旅行すると決めたのだ。

といっても、海外旅行が自由化される前のことであり、観光目的でパスポートを取ることがまだ難しかった時代である。そこで石ノ森は、ある出版社と掛け合い、アメリカで開催されるSF大会を取材する名目で、海外取材記者ということにしてもらった。さらに莫大な旅費を捻出するため、各出版社から原稿料の前借りにまわった。その額は、いまの価値でいうと1千万円を超えたという。

出発ぎりぎりまで、それまで抱えていた連載を、赤塚など仲間たちにも手伝ってもらいながら片づけてどうにか日本を離れた石ノ森は、3ヶ月かけて各国をまわり帰国した。帰ると同時に、各出版社から前借りした分の原稿を描くよう催促され、ふたたびマンガを描く日々が始まる。何のことはない、結局、マンガ家をやめることはできなかったのだ。

しかし気持ちは旅行前とまったく変わっていた。それまでの悩みが吹っ切れて、《どうせ描かなきゃならないのなら、グチャグチャぶつぶつ言ってないで、みんなにわかってもらえる面白いマンガを描いてやる。俺の「マンガ」がどこまで通用するのか、いっちょうやってみようじゃないの》と、客としての読者を初めてはっきりと意識するようになったのだ(『絆 不肖の息子から 不肖の息子たちへ』)。

その後の彼は、読者を楽しませることを第一に置きながらも、マンガというメディアの可能性を追求していくことになる。『仮面ライダー』『秘密戦隊ゴレンジャー』など東映の実写作品の原作を手がけ、いまなお続く仮面ライダーシリーズ、戦隊シリーズというフォーマットをつくったのは、その一つの成果だろう。また、『マンガ日本経済入門』『マンガ日本の歴史』など学習マンガや情報マンガの描き下ろしにも、マンガ表現の可能性の広さを認識できるならと果敢に挑戦した。多大な影響を受けた手塚治虫が1989年に死去すると、表現も内容も多様化したマンガというメディアを定義し直し、「萬画」という造語を提唱している。

赤塚不二夫は、ギャグマンガの頂点を極めたあと、タモリを発掘するなどマンガの枠をはみ出して笑いを追求するようになった。それに対して石ノ森章太郎は、マンガの外にあったものを貪欲に取り込みながら、マンガの枠組みを広げる方向へと進んだといえる。赤塚とは違った意味で、彼もまた“既存の枠に収まりきらなかった男”であった。
(近藤正高)

【ドラマデータ】
「ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語」
脚本:福原充則
演出:佐久間紀佳
音楽:coba
出演(カッコ内は役名):中島健人/Sexy Zone(石森章太郎)、木村文乃(小野寺由恵)、林遣都(赤塚不二夫)、大野拓朗(寺田ヒロオ)、中田圭祐(藤本弘)、佐久本宝(安孫子素雄)、松川尚瑠輝(つのだじろう)、宮崎秋人(鈴木伸一)、楠元健一/ラフメイカー(森安なおや)、誠子/尼神インター(水野英子)、和田聰宏(TV番組プロデューサー・山平)、松本享恭(同・矢部)、高橋努(編集者・川藤)、山口翔悟(同・櫛原)、今里真(同・角山)、迫田孝也(同・屋根村)、藤岡弘、(シークレット)、梅沢富美男(医師)、唐沢寿明(シークレット)、バカリズム(手塚治虫)
プロデューサー:次屋尚ほか
チーフプロデューサー:西憲彦
制作協力:AXON、ケイファクトリー
製作著作:日本テレビ