大河ドラマ「西郷どん」(原作:林真理子 脚本:中園ミホ/毎週日曜 NHK 総合テレビ午後8時 BSプレミアム 午後6時) 
第35回「戦の鬼」9月16日(日)放送 演出:盆子原誠
「西郷どん」35話。小栗旬退場、鈴木亮平が鬼の西郷に変貌し、錦戸亮が哀しい眼をする
西郷どん 完全版 第弐集 DVD ポニーキャニオン
10月17日発売

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さみしい、カステラ


慶応3年。大政奉還をした徳川慶喜(松田翔太)のねらいは我らがふりあげたこぶしを交わすことだと吉之助(鈴木亮平)は確信していた。

武をもって徳川をたたきつぶすと静かにでも強い決意に燃える吉之助に「いま戦したら、日本全土は火の海だ」と龍馬(小栗旬)は冷静に諭そうとする。


聞く耳もたない吉之助に、龍馬がそっと懐に手をやる。
何か物騒なものを取り出そうとしているのか・・・? と思わせて、一旦、タイトルバックが流れる。

「撃つか おいを」と警戒する吉之助に、龍馬が懐から取り出したのは、カステラだった。
半分に割って片方を差し出すが吉之助は受け取らない。
龍馬は飄々とカステラを頬張る。

一生懸命、場を和まそうとしたが、吉之助の決意は動かないと諦めて、立ち去る龍馬。

「おまんとは乗る船が違うようじゃ」
残ったカステラの片割れが哀しい。

かつて(第一話)、島津斉彬(渡辺謙)が少年・小吉(吉之助の幼名)にカステラをくれたことがあった。
その包み紙に書かれた言葉が少年の心を動かした。その頃の吉之助とはいまはもう違うということか。

龍馬が外に出ると民衆が「ええじゃないか」と歌い踊っている。
その喧騒の中に消えていく龍馬。
やるせない。

龍馬、死す


京都、近江屋で中岡慎太郎(山口翔悟)と酒を酌み交わしながら戦をしないやり方を考えていたら、刺客に襲われてしまう。
刀を鏡代わりにして血まみれの額を見て「こりゃいかん」「まだ死ねん」「いまじゃないぜよ」と言いながら倒れ込む龍馬。
短い出番ながら、飄々と懐の広い男が純粋な志なかばで倒れていく世の儚さを演じて、強い印象を残した小栗旬さん。お疲れ様でした!

龍馬が死んで、お龍(水川あさみ)が「あんたが殺したんやろ」と吉之助のもとに怒鳴り込んでくる。
水川あさみも、急に出てきてテンション高い芝居をしないといけない役割で大変だったことだろうが、十分その役目を果たした。

「ただ商いがしたかっただけなんや」と龍馬の無念を代弁するお龍。

「何が新しい時代や。こんなことになるならそんなもんこんでええ」と放心状態で去っていくお龍。
そこではまた「ええじゃないか」をやっている。
お龍も「ええじゃないか」と泣きながら踊りの中に溶けて消えてゆく。

惜しい。この時代の庶民の運動「ええじゃないか」の、群衆の不満がアクセサリー程度にしか描かれないことがとても残念だ。

女性やこども、下級武士・・・政治に翻弄されている人たちの視点で描こうとしてきた「西郷どん」だと
思うのだが、全体の仕立てが中途半端な印象が否めない。

糸(黒木華)との間に生まれた子ども(虎太郎)の枕元に置いてある馬の人形など、子どものいる家庭らしさや当時の文化が感じられる小道具の配慮は感じられるし、王政復古の大号令によって徳川幕府の幕がおりたあとの小御所会議のときの雪の降らし方も相変わらずうまい。腕のいい職人的なスタッフがいるのは確かだと思うが・・・。

というか、雪を降らすと静かな迫力が出て、場面が引き締まる。
大河ドラマと雪は相性がいい。年がら年中、冬のシーンをやっていればいいのに(暴論)。


吉之助、鬼になる


岩倉具視(笑福亭鶴瓶)に天子さまに働きかけてもらって、王政復古の大号令が発せられ、吉之助は徳川慶喜を新政府から排除することに成功する。
鶴瓶師匠が演じる岩倉具視は、鶴瓶師匠であって岩倉具視には見えないという声が少なくないが、何度もレビューに書いているが、彼の醸し出す、したたかに生きている食えない人、いい人のような悪い人のような判別つかない、どこか超越した人物という雰囲気は捨てがたい。

とはいえ、静かににやりとしているときは決まっているものの、激昂するときは威厳よりも庶民感が出てしまい、やはり公家役は彼のニンではないかもしれない。

吉之助に刺される夢を見てうなされる慶喜。薩摩に自分が陥れられたことを知って慶喜は激怒する。
なんやかんやあって旧幕府軍が薩摩屋敷を攻撃。
このとき使用される錦絵が立派だ。
いよいよ吉之助は「天下万民を守る正義の軍」として徳川慶喜を討つことを薩摩軍に表明。
大将(慶喜)の御首をとって勝利とすると宣言した。

兄の言動をじいっとみつめているのは弟・信吾(錦戸亮)だ。
「あれだけ戦を嫌っていた兄さが大戦を前に喜んでいるように見えます」と指摘。

「戦になって一番苦しむのは民じゃち」と訴える信吾。
「迷っておられん。おれはどない手段でも使う」と拒否する吉之助。
龍馬の死後、龍馬の視点に信吾が代わったかのようだ。

吉之助を相対化する登場人物を配置することで、「西郷どん」はぎりぎり公共放送を代表する番組としての
体裁を保っている。

江戸の薩摩屋敷を襲わせて旧幕府軍との闘いを動かしたのも吉之助の策略だった。
吉之助は民には一旦犠牲になってもらってでも国を変えようとしているように見える。
国を統べようとする者はどうしてもその矛盾とぶつかるものなのだろうか。
「戦の鬼になってしまった ああ西郷どん」と錦戸亮の十八番、哀しい鏡のような聖なる瞳に、西田敏行のナレーションがかぶって、つづく。

勧善懲悪になれないなんともすっきりしない状況がカタルシスを遠ざける。
視聴率は関東では11.7%、関西では15.2%(ビデオリサーチ調べ)。
(木俣冬)