エリオット・スミスの濃密な生涯 タイタニックとオスカーを争った天才シンガー
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それは1998年3月23日、ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアムで行われたアカデミー賞の授賞式でのできごとだった。どこか恥ずかしげにステージに登場した白いスーツの男が、直立したままヤマハのアコースティックギターを弾き始める。
伏し目がちで、いかにも神経質そうな所作。美しくかすれた声と、過剰すぎるほどのリリシズム……。

映画『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』の主題歌「Miss Misery」を作詞・作曲してアカデミー歌曲賞にノミネートされたエリオット・スミスは、自分のようなインディーなシンガーがオスカーの舞台に相応しくないことを充分に理解していた。それでもなお、彼のパフォーマンスは人々の胸を打った。2分前後にカットされても「Miss Misery」は素晴らしい楽曲だったし、1人ぼっちでステージに立つ彼のみすぼらしい姿には、ハリウッド的なゴージャスさとは無縁の聖性が宿っていた。

家庭環境に悩まされた少年時代


エリオット・スミス(出生名:スティーブン・ポール・スミス)は1969年8月6日、ネブラスカ州オマハに生まれた。両親は彼が1歳のころに離婚。
母に連れられてテキサス州ダラス郊外で過ごした幼少期は、継父のチャーリーの虐待に苦しんだ。

音楽一家に生まれ育ったスミスは、早くからその才能を発揮した。ピアノとギターを覚え、10代前半から作曲をスタート。14歳になると実父が暮らすオレゴン州ポートランドへと移り、マルチトラック・レコーダーを用いて最初のレコーディングを行った。しかしそのすぐ後には、彼の人生に暗い影を落とすアルコールやドラッグにも手を出すようになっていた。

映画の主題歌に抜擢されブレイク


エリオット・スミスの濃密な生涯 タイタニックとオスカーを争った天才シンガー
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1994年に最初のソロアルバム『Roman Candle』を完成させたスミスは、続く1995年に『Elliott Smith』をリリース。同アルバムのリードトラック「Needle In The Hay」は、後にウェス・アンダーソン監督の映画『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』の挿入歌として採用された。
このころは特に暗いトーンの曲が多く、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』の作中で「Needle In The Hay」が流れたのも登場人物(ルーク・ウィルソン演じるリッチー・テネンバウム)が自殺を試みるシーンだった。

1997年、スミスはソロとして3枚目のアルバム『Either/Or』をリリース。アコースティック色の強かった前2作とは異なり、多種多様な楽器を用いた同アルバムは、美しいメロディーと温もりのあるサウンド、そしてほの明るいユーモアを感じさせる隠喩的な歌詞で、現在でもインディーズ期を代表する名盤として多くのファンに愛されている。

そして『Either/Or』から「Between The Bars」「Angeles」「Say Yes」といった楽曲をガス・ヴァン・サント監督の映画『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』に提供。「あの映画にはあまり関わっていない」と語ったスミスだが、映画のために書き下ろした唯一のナンバー「Miss Misery」が主題歌として採用された。

故ロビン・ウィリアムズの好演もあって『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』は望外のヒット作となった。
無名時代のマット・デイモンとベン・アフレックが共同で脚本を手がけ、後に「#MeToo」運動で映画界から放逐されたハーヴェイ・ワインスタインがプロディースした同作は、歌曲賞の「Miss Misery」を含むアカデミー賞9部門にノミネートされた。

『タイタニック』主題歌とのオスカー争い


この年のアカデミー歌曲賞は、セリーヌ・ディオンが歌う『タイタニック』の主題歌「My Heart Will Go On」が言わずもがなの大本命。しかし「Miss Misery」も決して大穴というわけではなかった。事実、1mmたりともハリウッド的ではないスミスの朴訥としたパフォーマンスの直後、シュライン・オーディトリアムは割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。

会場の反応だけならば、『タイタニック』に負けない支持を集めていたスミス。しかし「and the oscar goes to」というお決まりのフレーズの後に、プレゼンターのマドンナが読み上げた受賞作は「My Heart Will Go On」だった。最初から受賞するとはまったく思っておらず、アカデミー賞の権威が欲しいわけでもなかったスミスは、この日のできごとを「すごくシュールな体験だった」と述懐している。


このとき、プレゼンターのマドンナはスミスを応援していたのではないか、という逸話がある。マイナス思考のスミスは大スターを前に「絶対に口をきいちゃまずい。彼女は僕をクズだと思っているんだから」と余計な心配をしていたそうだが、実際にはまったくそんなことはなかった。その証拠に、マドンナはフェイバリット・ソングとして彼の「Between The Bars」を挙げ、同曲のアコースティック・カバーまで披露している。


精神失調と回復、そして突然の死


アカデミー賞ノミネートで一躍知名度がアップしたスミスはメジャーレーベルと契約。1998年の『XO』、2000年の『Figure 8』と立て続けに傑作を生み出すも、同時に深刻なドラッグとアルコール依存、鬱病による自殺願望に悩まされることになる。


ヘロインを常用し、まともにライブやレコーディングができない状態に陥っていたスミスは、一念発起してドラッグ依存の治療に努めた。その甲斐あって2003年には体調が回復。これまでになく前向きな気持ちで新しいアルバムの制作に取り組んでいたという。しかし、悲劇は突然訪れた。

アルバムの完成を間近に控えた2003年10月21日、スミスは恋人と口論した直後、胸に負った深い刺し傷が原因で死去した。当初は自殺とみられたが、現場の状況などに謎めいた点が多く、検視報告書では殺人の可能性も否定されていない。


こうして、わずか34年の短い生涯の幕を下ろしたエリオット・スミス。彼の遺した美しい楽曲は、没後15年が経過した現在も世界中のファンに愛聴され続けている。

(曹宇鉉/HEW)