この原画を描いたのは「となりのトトロ」(88年)の作画監督や世界名作劇場の数々のアニメを手がけたベテランアニメーター佐藤好春さん。なぜ佐藤さんが薪割り原画を描くことになったのか。そこには深い深いアニメーションの歴史が関係していた。詳しいことを佐藤さんにインタビューしてみた。
( 後編はこちら→「なつぞら」に原画参加した佐藤好春は「あさが来た」のモデル広岡浅子のアニメも作っていた)
「なつぞら」のオープニングをつくった刈谷さんは教え子
──薪割りの原画を描かれたいきさつを教えてください。
「『なつぞら』のアニメーション監修をやっている舘野仁美さんに頼まれました。舘野さんとは『となりのトトロ』の頃からの仕事仲間で、舘野さんに頼まれたら断れません(笑)。そのときひとつ言われたのは『教え子が関わっているから手伝ってほしい』というものでした。オープニングアニメーションをはじめとして本編に登場するアニメを手がけている刈谷仁美さんが、以前、僕が講師をやった文化庁主催のアニメーションブートキャンプ(長野で行った3日間くらい合宿形式のアニメ塾)の生徒だったんですよ。不思議なご縁があるものだなと驚きました」
──薪割り動画を描くテストは、実際にアニメの制作会社で行われていたもので、佐藤さんも描いた経験があるそうですね。
「実際の課題は“薪割り”ではなく“杭打ち”でしたけれど。
──絵はものすごく優しそうなイメージですが森さんは厳しい方だったのでしょうか。
「ふだんは優しくても仕事になると厳しいものですよ。教えを請うてもなかなか教えてくれない。絵を見せに行っても『ん~~。はい、やり直し!』となにが悪いのかは教えてくれない。とにかく、まずは自分で考えろ!ということなんですよね」
──ドラマで“杭打ち”が“薪割り”になったのは、推測でしかないですが、なつとその家族が北海道で薪割りしていたのでそれと繋げたのかもしれません。
「たぶん“薪割り”は“杭打ち”より描くことが難しいと思います。
──実際、原画を描いてみてどうでしたか。
「森さんそっくりに描けるわけではありませんが、森さんの絵はどんなだったかなあと思い出しながら描き、改めて森さんの偉大さを感じました。いまのアニメの絵は線が多いものが少なくありませんが、森さんの場合、線を少なくしてシンプルにしたうえで動かします。おそらく、動きを重視するために線を減らしているのでしょうね。線を多くすると動かすために時間がかかるし、原画や動画枚数も増えます。芝居をつけるのも容易ではありません。
なつが高校で演劇部に入ったのはアニメーターも役者だよってことを教えるためなのかなと思いました。
──森さんの絵は線がシンプルで動きのいい絵だったということですね。
「なんともいえないあったかさと豊かな表情の描ける方でした。とりわけ動物をあそこまで描けるアニメーターは後にも先にもいないと思います。
──ヒルダの何が難しかったんでしょうか。
「当時の僕も、ヒルダというキャラクターの設定画が決まっているのだから、それを描くことが難しいというのはどういうことなのだろうと疑問でしたが、いま思えば、一枚のイラストを描くように、決めカットみたいなもので表現することが難しいキャラだったのでしょうね。ヒルダは明確な喜怒哀楽を表情に出さず、ちょっとした仕草から複雑な感情が見えてくるキャラクターとして作られていたから、森さんが“役者”としてヒルダを動かすに当たってそれがものすごく難しいってことだったんですよね。日本アニメーションで森さんや、近藤喜文さん(ジブリ映画『耳をすませば』(95年)監督)に教わったことは、アニメーターは役者であるということで、俳優が役を演じるように絵を描くことなんです」
──アニメーターは役者だという考え方は面白いですね。
「『なつぞら』で、なつが高校で演劇部に入りましたよね(取材はこのエピソード放送時に行われた)。もしかしたらこれはアニメ編に入る前にアニメーターも役者だよってことを教えるためなのかなと僕は思いましたよ。森さんや近藤さんは、絵は描けて当たり前で、アニメーターはその先のことをやるんですよと、言葉は違うかもしれないですが、そういうことを教えてくれたんです。例えば、大先輩の大塚康生さん(TV第1シリーズの『ルパン三世』(71年)などを手がける。『なつぞら』の下山のモデルではないかと一部で囁かれている)の一番得意なキャラはルパン三世ですが、ルパンだったらコップの水を飲むときもコップをカッと持ってグッと飲むけれど(実際コップをメリハリある動きで持ちながら語る)、それが赤毛のアンだったらそうは飲まないでしょうっていうわかりやすい話なんですよね。僕は日本アニメーションが『赤毛のアン』(79年)をやっているときに入ったので、そういう例え話を近藤さんにしてもらいました。アニメーターが役者とはなんぞやってことをそういうキャラクターを出してわかりやすく説明してくれたんですよ」
──キャラクターの生まれた環境や性格に合った動きを描くためには、どうするんですか。
「さきほど話した“杭打ち”の画の延長線上の話ですが、森さんは2枚の絵の間の動きを埋めるとか、1枚の絵を描いて、その後、どうなるかを描いてくれという課題が多かった記憶があります。まず簡単なのは歩きや走り。慣れてくるとジャンプ。走り幅跳びのようなものとか。そういう課題がありました。そもそもも話をしますと、アニメーターになるには、まず“動画”をやらないといけないんですよ。“原画”は芝居のポイントポイントを描く人です。カップをもった絵、口にもっていく絵、それが原画で、動画はその間を埋める絵です。“杭打ち”の場合、杭をもった絵、振り上げる絵が原画としたら、下ろす絵、もち上げる絵を動画で埋めるわけですが、そのふたつは全然違うものになるんです(実際立ち上がって、振り下ろすポーズをしながら語る)」
──重力のかかり方が違いますよね。
「そうそうそう。アニメーターにはデッサン力も必要だけど、そういう知識や洞察力なども必要なんです。でも、森さんはその動画の描き方は具体的に教えてくれなかったんですよ。自分で考えて描いて見て、というやり方でした。役者さんもそうで、台本を読んで表情や動きを想像しますよね。監督によって相手役によっても芝居は変わっていくでしょうし。同じセリフの役でも、監督や相手役が変われば同じ芝居にならないと思うんですよね。だからアニメーターもひとりでいくつもの役をやらないといけないんですよ。女も男もやらないといけない。そのためには引き出しを多くしないといけないから、近藤さんにはよく『本を読みなさい』と言われ、『赤ひげ』などを貸してもらいました。今でも、近藤さんに借りっぱなしの本があります。近藤さんは山本周五郎が好きで色々と貸してもらって読んだ覚えがあります。時代劇といっても山本周五郎ってちゃんばらではなく人情物で、そういうものが近藤さんは好きだったのかなと思います」
──山本周五郎は江戸の生活が丁寧に描いてありますものね。
「そうですね。勝手な想像でしかありませんが、いつかそういうアニメを作りたかったのかもしれませんね。近藤さんはリアリティーを重視されていて、ものをよく見て描かないといけないと言って、たとえば『トム・ソーヤの冒険』(80年)のとき、近藤さんが原画で僕が動画で、ミシシッピ川を通る船を描くために氷川丸だったか日本丸だったかそういうものを実際にスタッフみんなで見に行った記憶があります。わからないものは想像で描かずにちゃんと調べなければいけないということも近藤さんに教わりました。いまはネットで調べたらなんでもすぐわかるけれど、当時は図書館に行くか、見られるものは見に出かけるかしかなかったんですよ。こういったことを森さんと近藤さんのふたりから教わることができた僕は幸せでした。だからこそ僕は、若いアニメーターたちには常々そういうことを伝えているんです」
2018年、アニメーター生活40年を迎えた佐藤さんは各地で講演を行い、自身の経験を若い世代に語っていて、19年のいまもそれは続いているという。そんな佐藤さんに習ったこともある刈谷仁美さんが「なつぞら」のアニメに関わっていることも不思議な縁である。
森康二さんは、明治生まれの日本アニメーションの父・政岡憲三さん(日本のアニメの古典的名作『くもとちゅーりっぷ 』(43年)をつくり東映アニメーションの元になるスタジオを立ち上げた)の系譜にいる作家で、森さんに習った佐藤さん、佐藤さんに習った刈谷さんと、「なつぞら」のアニメは日本のアニメの歴史を踏襲しているように思う。『なつぞら』のオープニングアニメの感想を聞くと佐藤さんは「若々しいエネルギーに満ちていますね」と笑った。
インタビュー後編では、佐藤さんが作った、まるで朝ドラ×世界名作劇場のようだった大同生命のアニメCMのお話などを伺います。
(取材・文 木俣冬)
(協力 ササユリスタジオ)
今朝も朝ドラレビュー更新 (30話レビュー)。あしたは、インタビュー後編と合わせて、薪割り登場31話レビューもお楽しみに
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Yoshiharu Sato
1958年生まれ。スタジオカーペンターを経て日本アニメーションに入社。その後、ジブリで『おもいでぽろぽろ』『となりのトトロ』などの作画監督をつとめ、再び日本アニメーションへ。『愛少女ポリアンナ』『ロミオの青い空』などのキャラクターデザイナー、作画監督をつとめる。著書に「佐藤好春と考えるキャラクターとアニメの描き方」がある。九州の製パンメーカーフランソアの「スローブレッド」のCMのアニメなども手がけている。