【写真】グラビア界の最強ラスボス・豊島心桜の撮り下ろしカット【8点】
――豊島さんは「ミスセブンティーン2017」をきっかけに芸能界デビューされました。まずはオーディションを受けた理由から教えて下さい。
豊島 当時、芸能界にそれほど強い興味はなかったんです。ただ、可愛い子が好きだったんです。それで好きなモデルさんに会えるかもと思ってオーディション参加を決めました。
――惜しくもグランプリは逃されましたが、オーディションをきっかけに芸能事務所の方が直接実家にスカウトに来られたんだとか。
豊島 私もびっくりしました。最初はお断りしたんですが、何度もいらしてくださって、芸能界の話を詳しく聞くうちに考えが変わって所属することを決めました。
――芸能界入りを機に新潟から上京されています。当時は高校1年生ですが、1人で上京することに不安はなかったですか?
豊島 楽しみという気持ちの方が強かったです。新潟にいたときから1人でどこにでも行けるタイプだったので。
――なるほど、6年目のホームシックですか(笑)。上京当時の印象に残っている思い出があれば教えてください。
豊島 電車が多すぎて乗り換えがわからなかったです。新潟にいたときは、市内へ行くのに選択肢は一つしかなかったので上京当時は戸惑いました。新宿や池袋は迷路すぎて未だに迷います。つい最近は、大江戸線で迷いました。新宿に駅が2箇所あることを知らなかったので、パラレルワールドに来ちゃったのかなと思って焦りました。
――東京は難しい路線が多いですからね。上京することに不安はなかったと言われていましたが、当時、学業と芸能活動の両立で苦労したりはなかったですか?
豊島 当時は芸能活動について今ほど深く考えていなくて、ただ楽しんでやっていたんです。だから悩むことは少なかったですね。
――芸能活動に対する意識はいつ変わったんですか?
豊島 『めざましテレビ』のイマドキガールに合格した時です。高校1年生のときに1度オーディションで落ちているんですが、高校2年生で改めて挑戦して合格したんです。それからはお仕事に対する意識がガラリと変わりましたね。
――イマドキガールが転機だったと。幼少期はキャリアウーマンに憧れていたそうですが、この頃は会社に入ってバリバリ働く道に未練はなかったですか?
豊島 高校生になってからキャリアウーマンへの憧れはなくなりました。ただ、高校3年生のときに「このまま芸能活動続けてもいいのかな」と迷った時期はありました。やっぱり先が見えないお仕事なので、大学に進学して会社に入るという選択を残してもいいのかなって思ったんです。
それで周りに言われたわけではないんですが、「大学に行かないといけない」という衝動にかられて、受験したんです。入学もしたんですが、その後、やはり芸能のお仕事を頑張りたいと思い直して辞めました。このときは家族からかなり怒られましたね(苦笑)
私は0か100かの性格なので、何か決めたら、周りの意見を聞かずに突き進んじゃうんです。このときもそれが出ちゃいましたね。
(後編ではグラビアデビューのきっかけ、話題の1st写真集について聞いた)
▽豊島心桜(とよしま こころ)
2003年9月25日生まれ、新潟県出身。「ミスセブンティーン2017」に応募しファイナリスト18人に残る。その後、同誌を見た事務所関係者にスカウトされ芸能界へ。高校2年生のときに『めざましテレビ』(フジテレビ)内の「イマドキ」コーナーに抜擢。2022年に主演を務めたNTTドコモのYouTube動画『卒業生100万人の答辞』再生回数が1100万回を超え話題に。2023年にグラビアデビューし、2025年3月には1st写真集『心桜ばかり』(集英社)を発売。
▽公式X
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▽公式Instagram
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