7月25日(土)に『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』(太田隆文監督)が封切られる。太平洋戦争時、日本で唯一の地上戦が行われた沖縄。
戦後75年が経ち、その凄惨な戦闘の記憶が風化しようとしている今、沖縄戦の体験者12人、専門家8人に話を聞き、当時の映像とともに“知られざる悲しみの記憶”を丹念に描いたドキュメンタリーだ。

この映画で女優の斉藤とも子さんとともにナレーションを務めているのが俳優の宝田明さんだ。現在、86歳の宝田さんは少年時代を満州で過ごし、ソ連軍の満州侵攻による混乱の際には、ソ連兵に右腹を撃たれたという経験を持つ。「満洲は日本本土を守る北の防波堤で、沖縄は南の防波堤だった」そう語る宝田さんに『ドキュメンタリー沖縄戦』の話を、ご自身の満州での経験と合わせて伺った。

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 僕は2歳のときに満洲に渡り、ハルビンで子供時代を過ごしたんです。終戦後、日本に引き揚げてきたのが小6のとき。だから正直に言うと、沖縄に関してはそこまで深く理解していたわけではないんです。というのも、満洲にいると日本国内の戦況すらよくわからないんですから。ましてや沖縄でどんな悲惨なことが起こっているかなんて、情報がまったく入ってこなかった。なにせ軍が情報をシャットアウトしていましたので。そういうこともあって、僕が沖縄のことに関心を持つようになったのは映画俳優になってからなんです。

 満洲時代の僕は典型的な軍国少年。
当然、将来は関東軍に入るつもりでした。ところが終戦後、状況は一変するわけです。ソ連軍がハルビンに入城してくると暴虐の限りを尽くし、数万人の関東軍がシベリアに抑留されていった。北の方角に連れていかれる兵隊さんは列車の窓から日の丸を振っていて、その様子を見に僕も駆け寄った。なぜかと言うと、兵隊に行った僕の兄はすでに行方がわからなくなっていたから。ひょっとしたら、その列車にいるんじゃないかと考えたからです。

「帰れ! 帰れ!」

 列車にいる兵隊さんたちからは、たしかにそう言われました。その直後にダダダッと足音がすると、ソ連兵は72発入った自動小銃(僕たちはその銃をマンドリンと言っていました)を一気に撃ちまくってきた。僕も転げるように逃げ回ったけど、家に帰って見てみると血まみれ。ひたすら身体が熱かったです。そして3日目には化膿してきて、人が近くを通るだけでも痛みで全身が引き裂かれるような状態。そこで昔は軍医だったという人に頼んで弾頭を取ってもらったんですけど……これが、またとてつもない痛み。
裁ちバサミで腹をまさぐって、鉛の銃弾を取ったんです。

 もちろん当時の満洲と沖縄では事情が違います。だから僕の経験と沖縄の悲劇を一緒に語るのは違うという意見もあるかもしれない。ただ、根底としてあるのは戦争がいかに悲惨で不毛かということ。そこは声を大にして主張したいんです。満洲は北の防波堤として考えられていたし、僕らもそのつもりでいた。一方、沖縄は南の防波堤。両方とも日本本土を守るものと捉えられていたんです。そしてその結果、どうなったか? 国からは薄情に見捨てられた。これが現実ですよ。

 今回の映画『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』はノンフィクション。まぎれもない生の現実です。
現在、90歳前後になった方たちが涙をこらえて歯を食いしばりながら、それでも淡々と証言している。同情……などという軽い言葉では到底言い表せません。彼ら、彼女らの気持ちを想うと本当に胸が詰まりますね。

 戦争は間違いなく当時の沖縄の人たちの人生を狂わせた。翻って国は彼らの傷ついた心をどう癒してくれたのか? それは何も補償という形あるものだけではない。沖縄という地域に思いを馳せ、大切に扱っていかなくてはいけないわけです。それなのに在日米軍基地の7割が沖縄に集中しているわけですから。

 戦争が終わったのは1945年。沖縄の施政権が日本に返還されたのが1972年。現状の沖縄の米軍基地の多さを見ると、「日本って本当に独立国なの?」という疑問すら沸いてくる。辺野古基地の問題もしかりだけど、要するに沖縄では「戦争は終わった」と言い切れないんです。だって一番肝心なのは沖縄の人たちの民意なわけで、そこで選ばれた県知事の玉城デニーさんは「辺野古はNO!」とはっきり言っている。
それなのに国はアメリカとまともに交渉する気すらないんですよ。

 日本の憲法というのは世界に冠たるものだと僕は考えているんです。これこそが憲法の王道だし、どこに出しても恥ずかしくない“法典”と言ってもいいでしょう。中でも9条の1項と2項……これは「日本は陸海空軍の戦力を放棄する」「他国の戦争には加担しない」という内容ですが、僕たちはこの憲法を大事に大事に守り続ける必要がある。

 これは74年間、言わば樽の中で熟成されたモルトのようなもの。それなのに今は樽が壊れ始めて、どんどん貴重な原酒が漏れ始めているようなイメージがある。今、まさにそういう危機感が僕を衝き動かしているんですよ。

 戦争を繰り返さないためには、教育も大事だと思う。そういう意味でいうと、手前味噌だけど今回の映画こそ学校で上映してもらいたいくらいです。繰り返しになりますが、これはフィクションじゃなくて現実の歴史ですから。学校で映画鑑賞の時間を作って、みんなで体育館で観るのもよし。あるいは親子で鑑賞して感想を述べ合うのもよし。
それが教育というものではないかと思うんです。子供たちがこの映画『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』を観て何を感じ取るのか? そこは僕も関心があります。

 僕自身が戦争のことについて積極的に話すようになったのは60歳を過ぎてから。おかげさまで最近は平和団体や憲法を守ろうとする団体から「ぜひ講演をしてほしい」と頼まれることも増えました。私事で恐縮ではありますが、満洲で実際に体験したこと……それから戦争への嫌悪感をお話させていただくんです。

 戦争を経験した人がどんどん亡くなっている時代だからこそ、僕みたいな立場の人間が伝えられることもあるはずです。今は10代~20代の若者だってやがては年を取り、おじいさん・おばあさんになっていく。孫から「なんであのとき、あなたたちは日本のために正しい選択をしなかったんだ!」と責め立てられるような老人になりたいですか? 正しい日本を次世代に継いでいかなくてはいけないと思うんです。

 戦争は人間が人間を殺す行為。しかも軍人同士だけで殺し合うだけじゃなく、往々にして一般の人たちが巻き込まれていきます。だから戦争は否応なく人を狂気に追い立てるんです。信じられますか? 空腹で極限状態に陥った人間は、仲間の死体を食べることも厭わないんですよ。
結局、今は政治家も戦争を知らない人たちばかり。そんな人たちが安保法制を改悪して平和憲法を壊そうと躍起になっている。

 さっきは学校の体育館で上映したいと言いましたが、本当は国会議事堂でこの映画を流してほしいくらいです。政治家たちはこの映画を観て、沖縄の人たちの肉声に耳を傾けるべきですよ。もちろん政治家や学生に限らず、すべての人間に観てほしいと切実に考えていますけどね。それが戦争経験者の僕からの願いです。

【あわせて読む】太田隆文監督が語る『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』

俳優・宝田明さんが語る満州引き揚げと沖縄戦「戦争がいかに悲惨で不毛かを伝えたい」

▽ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶
7月25日(土) 新宿 K’s cinemaにてロードショー
【証言者】
上江洲安昌 知花治雄 上原美智子 照屋勉 長浜ヨシ 川満彰 比嘉キヨ 佐喜眞道夫 真栄田悦子 座間味昌茂 松田敬子 島袋安子 山内フジ 瑞慶覧長方 平良啓子 吉浜忍 平良次子 吉川嘉勝 知花昌一 大城貴代子 他
声の出演:栩野幸知 嵯峨崇司 水津亜子
ナレーション:宝田明 斉藤とも子
監督:太田隆文「朝日のあたる家」「明日にかける橋」
撮影:三本木久城 吉田良介 音楽:サウンドキッズ 題字:大石千世
制作:青空映画舎
配給・宣伝:渋谷プロダクション
製作:浄土真宗本願寺派(西本願寺)
公式サイト:https://okinawasen.com/
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