12月7日、J1昇格プレーオフ決勝でファジアーノ岡山に0-2で敗れたベガルタ仙台は、惜しくもJ1昇格を逃す結果となった。そんな仙台では14日、ちょうど約1年前の2023年12月18日に現役引退を発表したMF梁勇基(リャン・ヨンギ)の引退試合がユアテックスタジアム仙台で行われる。
多くのサポーターに愛された背番号10の梁は、これまで記録や記憶に残るプレーを見せてくれた。ここでは梁のこれまでのキャリアを振り返るとともに、彼の活躍を紹介していく。
しかし、ジェフユナイテッド千葉への加入が決まりかけていたものの契約は破断に。その後川崎フロンターレの練習に参加するも契約には至らず、当時J2に降格したばかりのベガルタ仙台にテスト生として入団し、2004年に仙台の地でプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせる。
仙台に加入した梁は、1年目から主力としてプレー。加入初年度ながらリーグ戦32試合に出場すると、翌2005シーズン以降もスタメンに定着した。2006シーズンには背番号10を着けることとなり、2007シーズン以降5年連続でリーグ戦全試合に出場。チームの中心と言える存在として、2008、2009シーズンにはキャプテンを務めている。
その直後の第49節でセレッソ大阪から首位の座を奪うと、最終的に勝点106という数字で優勝した仙台。見事J1昇格を果たし、梁自身も初のJ1の舞台へ挑戦をすることとなる。
さらに翌2013シーズン、仙台でクラブ史上初となるAFCチャンピオンズリーグ2013で5試合に出場し1ゴールを挙げている。2018シーズンには天皇杯準優勝という結果を残し、リーグ戦でもJ1へ定着した仙台。一方で、梁自身は徐々に出場機会が減少し、2020年に試合への出場機会を求め、サガン鳥栖へ移籍を決断することとなる。
プロ17年目にして初の移籍となった梁は、当時の鳥栖の指揮官、金明輝監督から信頼も厚く、豊富な経験を活かし、チームの心臓としての役割が期待されていた。在籍期間は2021年までの2シーズンだったが、32試合に出場、ベテランとしての存在感を示し、チームやサポーターにとっても忘れられない選手となったことだろう。
復帰後の2シーズンでは公式戦29試合に出場。ゴールこそなかったものの、再び背番号10を背負い戦う彼の姿は多くのサポーターの記憶に残ったことだろう。そして、2023年12月18日”仙台のバンディエラ”は現役引退を発表。
その他にもJリーグ通算577試合、2012年Jリーグ優秀選手賞、さらに北朝鮮代表としてもAFCチャレンジカップ得点王(MVPも同時受賞)など多くの賞を受賞。そして今年10月24日、Jリーグは今年の功労選手賞を発表し、梁は同じく2023年での引退を発表した元日本代表MF遠藤保仁、元日本代表MF柏木陽介らとともに受賞者に名を連ねた。
試合は「ベガルタ仙台レジェンズ」と「梁勇基フレンズ」の対戦となり、仙台で共にプレーした選手をはじめ多くの仲間が梁のラストマッチに花を添える。いつもサポーターが歌い飛び跳ねてきた「梁ダンス」で最後のプレーを見届けたい。
梁の引退により、仙台の背番号10は2024年よりMF鎌田大夢に引き継がれる事となった。J1昇格プレーオフでは、惜しくもあと1歩のところで敗れた仙台だが、梁が残してくれた多くの実績やプレーは今後もチームとしての糧になるだろう。
来2025シーズン仙台はどんな戦いを見せてくれるのだろうか。
多くのサポーターに愛された背番号10の梁は、これまで記録や記憶に残るプレーを見せてくれた。ここでは梁のこれまでのキャリアを振り返るとともに、彼の活躍を紹介していく。
阪南大学からベガルタ仙台へ加入
1981年1月7日生まれの梁は、大坂朝鮮高校を卒業後、阪南大学のサッカー部に進学。関西大学サッカーリーグではMVPを獲得するなどの活躍を見せ、その後のJリーグ入りが期待されていた。しかし、ジェフユナイテッド千葉への加入が決まりかけていたものの契約は破断に。その後川崎フロンターレの練習に参加するも契約には至らず、当時J2に降格したばかりのベガルタ仙台にテスト生として入団し、2004年に仙台の地でプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせる。
仙台に加入した梁は、1年目から主力としてプレー。加入初年度ながらリーグ戦32試合に出場すると、翌2005シーズン以降もスタメンに定着した。2006シーズンには背番号10を着けることとなり、2007シーズン以降5年連続でリーグ戦全試合に出場。チームの中心と言える存在として、2008、2009シーズンにはキャプテンを務めている。
主将として悲願のJ1昇格を遂げた2009年
2009シーズンのJ2リーグで仙台は、キャプテン梁の活躍もあり開幕直後こそ敗戦や引き分けがあったものの、徐々に本来の強さを取り戻すと順位を上げ、終盤戦の第34節終了時点で2位に浮上。第48節の水戸ホーリーホック戦で4-0で勝利し、J1昇格圏内の3位以上を確定させた。その直後の第49節でセレッソ大阪から首位の座を奪うと、最終的に勝点106という数字で優勝した仙台。見事J1昇格を果たし、梁自身も初のJ1の舞台へ挑戦をすることとなる。
J1への挑戦、サガン鳥栖への移籍
2010年以降もJ1で仙台のチームを牽引する梁は、2012シーズンのJ1開幕戦を欠場するまでJリーグ通算213試合連続出場(J2では145試合連続出場)という記録を達成した。仙台は、2012年にJ1での過去最高順位となる2位を記録し、梁はこの年のJリーグ優秀選手賞を受賞する。さらに翌2013シーズン、仙台でクラブ史上初となるAFCチャンピオンズリーグ2013で5試合に出場し1ゴールを挙げている。2018シーズンには天皇杯準優勝という結果を残し、リーグ戦でもJ1へ定着した仙台。一方で、梁自身は徐々に出場機会が減少し、2020年に試合への出場機会を求め、サガン鳥栖へ移籍を決断することとなる。
プロ17年目にして初の移籍となった梁は、当時の鳥栖の指揮官、金明輝監督から信頼も厚く、豊富な経験を活かし、チームの心臓としての役割が期待されていた。在籍期間は2021年までの2シーズンだったが、32試合に出場、ベテランとしての存在感を示し、チームやサポーターにとっても忘れられない選手となったことだろう。
仙台への復帰そして現役引退
2022年、梁は鳥栖から仙台へ電撃復帰を果たし、再び背番号10を着けることとなる。仙台は2021シーズンにJ2へ降格したばかりで、梁は「再びベガルタゴールドのユニフォームを着てプレーできる事となりました。J2リーグはとても厳しいリーグです。選手、監督、スタッフ、フロント、そして熱いベガルタサポーター、一丸となって戦いましょう」(ベガルタ仙台公式HPより)と、J1昇格へ強い思いを持って加入した。復帰後の2シーズンでは公式戦29試合に出場。ゴールこそなかったものの、再び背番号10を背負い戦う彼の姿は多くのサポーターの記憶に残ったことだろう。そして、2023年12月18日”仙台のバンディエラ”は現役引退を発表。
数々の記録や記憶を残し、長きに渡る現役生活に終止符を打つ決断をした。
梁が残した数々の記録
約20年間に渡る現役生活を終えた梁は、これまで数々の記録を残している。先にも紹介したJリーグの連続出場試合数213試合の他、仙台での出場試合数616、通算得点82はいずれも仙台のクラブ歴代1位の数字である。その他にもJリーグ通算577試合、2012年Jリーグ優秀選手賞、さらに北朝鮮代表としてもAFCチャレンジカップ得点王(MVPも同時受賞)など多くの賞を受賞。そして今年10月24日、Jリーグは今年の功労選手賞を発表し、梁は同じく2023年での引退を発表した元日本代表MF遠藤保仁、元日本代表MF柏木陽介らとともに受賞者に名を連ねた。
引退試合、12月14日にユアテックスタジアム仙台で開催
多くのサポーターに愛された仙台のバンディエラ、梁。その功績を称え、クラブは引退試合の開催を発表した。12月14日、ユアテックスタジアム仙台にて「梁勇基引退試合 RYANG YONG GI LAST DANCE」として開催される。試合は「ベガルタ仙台レジェンズ」と「梁勇基フレンズ」の対戦となり、仙台で共にプレーした選手をはじめ多くの仲間が梁のラストマッチに花を添える。いつもサポーターが歌い飛び跳ねてきた「梁ダンス」で最後のプレーを見届けたい。
梁の引退により、仙台の背番号10は2024年よりMF鎌田大夢に引き継がれる事となった。J1昇格プレーオフでは、惜しくもあと1歩のところで敗れた仙台だが、梁が残してくれた多くの実績やプレーは今後もチームとしての糧になるだろう。
来2025シーズン仙台はどんな戦いを見せてくれるのだろうか。
サポーターそしてチームを牽引したレジェンドの思いを胸に、来季の仙台の戦いを注目したい。
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