2024シーズンの明治安田Jリーグは、優勝や昇降格・入れ替え戦などJ1からJ3までの全日程が終了。シーズンオフとなるこれからの時期、各クラブとも翌シーズンに向けた補強に乗り出す。
海外クラブを含め複数のクラブを渡り歩いてきた選手もいれば、プロデビューからひとつのクラブで戦い続けた選手もいるが、彼らが刻んだ輝かしい軌跡はサッカーファンのみならず多くの人の記憶に留まっていることだろう。ここでは、今年現役引退を発表した選手6名を紹介するとともに、彼らのこれまでの活躍を振り返っていく。※括弧内は最終所属クラブ
2012年、契約満了により鹿島を退団すると翌年からは浦和に所属し2017年にはキャリアハイとなる20ゴールを記録している。2022年に北海道コンサドーレ札幌へ期限付き移籍した興梠は、シーズン途中での怪我による離脱がありながら21試合に出場し5得点を挙げ、通算162ゴールを記録。J1通算得点ランキングにおいて当時歴代2位タイで並んでいた佐藤寿人(2020年引退)を抜いて単独2位となった。
2023年には浦和に復帰。2024年3月17日に行われたJ1第4節湘南ベルマーレ戦で通算168点目を記録し、鹿島所属時の2007年から「18年連続ゴール」というJ1歴代新記録達成の偉業を遂げた。そのほか、AFCアジアチャンピオンズリーグでの日本人最多出場および最多得点など数々の記録を持つ興梠。38歳の誕生日を迎えた7月31日に今季限りでの現役引退を発表した。
2018年に完全移籍で湘南に加入したものの、2020年以降は怪我の影響もあり出場機会が限られた梅崎。2021年夏、13年半振りに大分へ復帰したが、この年の出場は4試合に留まりチームもJ2へと降格となった。2022年以降はチームのJ1昇格を目標にプレーしてきたが、同シーズンは5位、2023シーズンは9位、2024シーズンは16位とJ1昇格を果たせぬまま、梅崎は11月11日に今季限りでの現役引退を発表している。
12月1日のJ1第37節(北海道コンサドーレ札幌戦)終了後には引退セレモニーが行われ、多くのサポーターが青山との別れを惜しんだ。まさに広島を代表する選手の1人と言える青山のプレーは、これからも人々の記憶に残り続けるだろう。
JFLから昇格した2000シーズン以降、1度も昇降格していない水戸。J2在籍年数最長クラブの戦いには常に本間の姿があり、まさにクラブと共に歩んだ選手と言えるだろう。2024シーズンの水戸は15位でフィニッシュ。1度もJ1でプレーすることなく引退となった本間だが、水戸のサポーターにとっては忘れられない選手だろう。
2002年に開催されたFIFAワールドカップ日韓大会では、第1戦(ベルギー戦)で一時逆転となるゴールや第2戦(ロシア戦)での決勝点など日本代表としての活躍も多く知られ、A代表として82試合に出場し5ゴールを挙げている。このうち2得点が前述のW杯での得点である。2002年当時の稲本はアーセナル(イングランド1部)に所属していたものの出場機会に恵まれず、W杯での活躍によりフラムに期限付き移籍することとなった。怪我の影響がありながら、フラムでは公式戦41試合に出場した。
稲本の引退について、共に日本代表でプレーした小野伸二や遠藤保仁ら(いずれも2023シーズン引退)も労いのコメントを寄せている。多くの人々に感動を与えてくれたそのプレーは、日本サッカー界に大きな功績を残した。
千葉での活躍から2008年にはスコットランド1部のセルティックへ移籍し、3年間で11試合出場1得点を挙げている。2010年6月に帰国した水野は、当時J2だった柏レイソルに加入。その後、ベガルタ仙台やサガン鳥栖など様々なクラブでプレーし、2023年にJ3のいわてグルージャ盛岡へ移籍した。2024年9月29日に今季限りでの現役引退を発表。
ほかにも多くの選手が今季限りでピッチを去る。指導者やクラブスタッフへの転向など今後の道は様々だろうが、彼らの偉大な功績に敬意を表したい。
移籍や契約満了でチームを離れる選手たちの去就が世間を賑わせる一方で、今シーズン限りで現役引退を発表した選手たちもクラブを去る。
海外クラブを含め複数のクラブを渡り歩いてきた選手もいれば、プロデビューからひとつのクラブで戦い続けた選手もいるが、彼らが刻んだ輝かしい軌跡はサッカーファンのみならず多くの人の記憶に留まっていることだろう。ここでは、今年現役引退を発表した選手6名を紹介するとともに、彼らのこれまでの活躍を振り返っていく。※括弧内は最終所属クラブ
興梠慎三(浦和レッズ)
鹿島アントラーズや浦和レッズなどでプレーした元日本代表FW興梠慎三。高校卒業後の2005年に鹿島に入団した興梠は、2007年にプロ初ゴールを挙げると2009年には12得点を挙げ、鹿島のリーグ戦3連覇に大きく貢献した。2012年、契約満了により鹿島を退団すると翌年からは浦和に所属し2017年にはキャリアハイとなる20ゴールを記録している。2022年に北海道コンサドーレ札幌へ期限付き移籍した興梠は、シーズン途中での怪我による離脱がありながら21試合に出場し5得点を挙げ、通算162ゴールを記録。J1通算得点ランキングにおいて当時歴代2位タイで並んでいた佐藤寿人(2020年引退)を抜いて単独2位となった。
2023年には浦和に復帰。2024年3月17日に行われたJ1第4節湘南ベルマーレ戦で通算168点目を記録し、鹿島所属時の2007年から「18年連続ゴール」というJ1歴代新記録達成の偉業を遂げた。そのほか、AFCアジアチャンピオンズリーグでの日本人最多出場および最多得点など数々の記録を持つ興梠。38歳の誕生日を迎えた7月31日に今季限りでの現役引退を発表した。
梅崎司(大分トリニータ)
大分トリニータのほか浦和や湘南などでもプレーしたMF梅崎司。2005年に大分の下部組織からトップチームに昇格すると2006年以降はスタメンとしてチームに貢献した。2007年1月には当時フランス2部のグルノーブル・フット38に期限付き移籍したが、わずか半年で大分に復帰している。翌2008年から2017年までは浦和でプレー。中盤選手の主力として活躍し多くのタイトルを獲得してきた。
2018年に完全移籍で湘南に加入したものの、2020年以降は怪我の影響もあり出場機会が限られた梅崎。2021年夏、13年半振りに大分へ復帰したが、この年の出場は4試合に留まりチームもJ2へと降格となった。2022年以降はチームのJ1昇格を目標にプレーしてきたが、同シーズンは5位、2023シーズンは9位、2024シーズンは16位とJ1昇格を果たせぬまま、梅崎は11月11日に今季限りでの現役引退を発表している。
青山敏弘(サンフレッチェ広島)
2004年に岡山県の作陽高等学校からサンフレッチェ広島に加入後、21年間にわたり広島一筋でプレーしてきたMF青山敏弘も今シーズンをもって引退する。J1リーグでの優勝3回(2012,2013,2015)のほか、J2リーグ優勝(2008)やYBCルヴァンカップ優勝(2022)などタイトル獲得に貢献し、2015シーズンに広島がJ1を制した際には青山個人も最優秀選手賞(MVP)を獲得している。12月1日のJ1第37節(北海道コンサドーレ札幌戦)終了後には引退セレモニーが行われ、多くのサポーターが青山との別れを惜しんだ。まさに広島を代表する選手の1人と言える青山のプレーは、これからも人々の記憶に残り続けるだろう。
本間幸司(水戸ホーリーホック)
1999年に浦和レッズから当時JFL(日本フットボールリーグ)所属だった水戸ホーリーホックへ加入したGK本間幸司。水戸のJFL時代を知る数少ない選手だ。その後、現役引退までの25年間を水戸でプレーし、JFL時代を含め計600試合以上に出場。J2での出場数は通算577試合にのぼり、J2リーグ歴代最多記録となっている。JFLから昇格した2000シーズン以降、1度も昇降格していない水戸。J2在籍年数最長クラブの戦いには常に本間の姿があり、まさにクラブと共に歩んだ選手と言えるだろう。2024シーズンの水戸は15位でフィニッシュ。1度もJ1でプレーすることなく引退となった本間だが、水戸のサポーターにとっては忘れられない選手だろう。
稲本潤一(南葛SC)
ガンバ大阪やプレミアリーグ(イングランド1部)のフラムなど、Jリーグをはじめ海外でも複数クラブを渡り歩き、2022年には関東サッカーリーグ1部の南葛SCに移籍したMF稲本潤一も今年12月4日に引退を発表している。2002年に開催されたFIFAワールドカップ日韓大会では、第1戦(ベルギー戦)で一時逆転となるゴールや第2戦(ロシア戦)での決勝点など日本代表としての活躍も多く知られ、A代表として82試合に出場し5ゴールを挙げている。このうち2得点が前述のW杯での得点である。2002年当時の稲本はアーセナル(イングランド1部)に所属していたものの出場機会に恵まれず、W杯での活躍によりフラムに期限付き移籍することとなった。怪我の影響がありながら、フラムでは公式戦41試合に出場した。
稲本の引退について、共に日本代表でプレーした小野伸二や遠藤保仁ら(いずれも2023シーズン引退)も労いのコメントを寄せている。多くの人々に感動を与えてくれたそのプレーは、日本サッカー界に大きな功績を残した。
水野晃樹(いわてグルージャ盛岡)
2004年、当時イビチャ・オシム氏(元日本代表監督)が指揮していたジェフユナイテッド千葉に入団したMF水野晃樹。翌2005年と2006年は千葉のYBCルヴァンカップ連覇に大きく貢献した選手の一人である。オシム監督の“考えて走るサッカー”で黄金期を築いた千葉の中心選手だった水野は、阿部勇樹(2021シーズン引退)、巻誠一郎(2018シーズン引退)、佐藤勇人(2019シーズン引退)らと共に「オシムチルドレン」と呼ばれた。
千葉での活躍から2008年にはスコットランド1部のセルティックへ移籍し、3年間で11試合出場1得点を挙げている。2010年6月に帰国した水野は、当時J2だった柏レイソルに加入。その後、ベガルタ仙台やサガン鳥栖など様々なクラブでプレーし、2023年にJ3のいわてグルージャ盛岡へ移籍した。2024年9月29日に今季限りでの現役引退を発表。
ほかにも多くの選手が今季限りでピッチを去る。指導者やクラブスタッフへの転向など今後の道は様々だろうが、彼らの偉大な功績に敬意を表したい。
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