「選手のひたむきさに魅せられたのはフロンターレと同じ」アンプティサッカー協会 武田理事長が見る夢

中村憲剛稲本潤一(写真:アフロ)
■成功の原点は” 不退転の決意”■
 昨年12月に70歳の古希を迎えたアンプティサッカー協会理事長がトップセールスを地道に続ける情熱の源泉は、フロンターレの社長時代に見出せる。

 クラブの代表取締役社長に就任したのは2000年12月。今でこそ、Jリーグ屈指の人気クラブだが、社長に就任したのはわずか1年でJ2へと降格した直後。実質的には社長初年度だった2001年には、同じ川崎市をホームタウンにしていたヴェルディ川崎が東京都へのホームタウンを決めており、地元の目線は冷たかった。2000年シーズンに7384人(J1リーグ)だったホーム等々力競技場の平均観客動員数は、J2初年度の翌2001年シーズンに3784人とおよそ半分にまで一気に落ち込んだ。
 武田氏は川崎フロンターレの前身である富士通サッカー部時代に選手、マネージャー、JSL(日本サッカーリーグ=Jリーグの前身)などを務めてきた文字通りの「富士通の人間」。それにも関わらず、クラブ社長として自ら発案し、率先して推進したのが「クラブの脱富士通化」「ホームタウンに根差したクラブ作り」だったのだ。

 運営法人名は「富士通川崎スポーツマネジメント」から「株式会社川崎フロンターレ」へと変更した。「富士通から来た人なのに、富士通を外すとはねえ、と驚かれましたよ」と武田氏は言う。「サポーターからは今でも言われるのですが、当時FUJITSUという名前がエンブレムに入っていたのですが、それも外しましたからね」

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