【私の人生を変えた一曲】


 田原俊彦さん(歌手/63歳)


 80年代の最大のアイドルといえば、田原俊彦さん。デビュー曲「哀愁でいと」以来、数々のヒット曲を世に送り出し、今もキレのあるパフォーマンスを披露。

歌手としての原点は「キング・オブ・ポップ」マイケル・ジャクソン。15歳でジャクソン5のデビュー曲「I Want You Back」に出合って以来、マイケルのことが今も頭から離れない。


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 高校1年の夏休みの時ですね。僕は早生まれなのでまだ15歳でした。芸能界に入るのを夢見ていたけど、どうやって近づいてその扉を叩けばいいのかわからなかった。歌って踊って女の子にキャーキャー言われるにはどうすればいいのか。

それにはジャニーズ事務所だなって、自分で当たりを付けました。


 寿司屋の職人になると言って東京に出て行った同級生がいました。彼に「ジャニーズ事務所はどこにあるんだ」って言って、一緒についてきてもらった。特急あずさ号で甲府から出てきて新宿で落ち合い、地下鉄日比谷線に乗って六本木で降りました。都会のど真ん中に放り出されて右も左もわからない。暑い夏の日差しの中で頭がクルクル回りましたね。


 飯倉片町の事務所まで歩き、ここらしいとわかったけど、事務所に飛び込む勇気はない。声をかけてくれないかなと思いながら、その前を10往復くらいしたかな。そのうち事務所の秘書の方が気がついて、「ボク、何やってんの」と声をかけてくれた。「事務所に入りたくて、山梨の甲府から来ました」とその場で直談判しました。


 すると、「それなら日劇まで行きなさい」と言われ、タクシー代をいただきました。当時はまだ日劇でウエスタンカーニバルをやっていた。

たまたま東京にジャニー(喜多川)さんがいらっしゃって、日劇の楽屋口で初めて会いました。ジャニーさんていうから外国人なのかなと思っていたから、「日本人じゃない! 顔が大きいなあ」というのが第一印象です。



リズミカル! ゴム人間かというくらい動きが柔らかい

 ジャニーさんに「ユーなの?」と言われ、2階席で一緒にショーを見ました。幕あいにご飯を食べに行くことになり、入ったのが有楽町の「ジャーマンベーカリー」という洋食屋さん。そこでナポリタンをごちそうになった。今でも覚えてます(笑)。

その時「僕も歌って踊ってやりたいと思ってます」と言ったら、「じゃあ来週からレッスンに来なさい」と言っていただき、毎週末レッスンに通うようになりました。


 9月でしたね。合宿所にいたら、ジャニーさんがでっかいオープンリールのデッキを持ってきまして。その時みんなに見せてくれたのがジャクソン5の「I Want You Back」。まだ11歳のマイケル・ジャクソンがお兄さんたちに交じって、メインボーカルで歌ってた。リズミカル! この人はゴム人間かというくらい動きが柔らかい。

そんな彼が歌って踊るシーンを見て、脳天を撃ち抜かれた感じがしました。それぐらいの衝撃でした。


 それを僕が見たのは15歳。マイケルは僕より2つ上だけどその時は18歳になっていた。ソロデビュー前後、アルバムの「トライアンフ」を出したくらいでしたね。


 日本ではというと僕が田舎で見ていたのは沢田研二さん。

ジュリーはスーパースターでした。その下に新御三家といわれた西城秀樹さん、野口五郎さん、郷ひろみさんがいて、女性は山口百恵さん、キャンディーズ、ピンク・レディーとか。でも、マイケルは日本のスターと比べて衝撃の度合いが違っていた。歌って踊るエンターテインメントはマイケルが基本だと思いましたね。マイケルはその後ソロになり、スターダムを一気に駆け上がって、アルバム「Thriller(スリラー)」(1982年)でドカンと売れます。



マイケルだけは来日するたびに見に行きました

 僕はドラマ3年B組金八先生」で人気になり80年のデビュー曲「哀愁でいと」がヒットしましたが、その間もマイケルを見続けました。20代から30代、40代、彼が50歳で亡くなるまでショーを作る上でもずっと参考にさせてもらいました。曲の並び、セットリストから照明、衣装なんかもちょいちょいマネして。マイケルが手袋をしたら僕も手袋をする、ボルサリーノをかぶって踊ったら僕もかぶる、ムーンウオークも習得する……。


 マイケルは4回ツアーで来日し東京ドームなどで公演を行っていますが、全部見に行ってる。これまでロッド・スチュワート、ビリー・ジョエル、ダイアナ・ロス、マドンナ、ジャネット・ジャクソンら外国の名だたるアーティストの公演に行ってるけど、どれも1回こっきりです。でも、マイケルだけは来日するたびに見に行きました。


 どんなショーをやるのか、どんな動きをするのか……そういう意識で見ていましたね。毎回やる曲はそれなりに決まっている。でも、それでも飽きない。何回見ても盗むところがあるから。マイケルに関しては僕はちょっと異常でしたね。


 80年代になって「スリラー」のミュージックビデオが出た時もセンセーショナルでしたね。あの時は「Billie Jean」や「Beat It」(ともに82年)のシングルミュージックビデオも作られた。もう少し後に出た「Ghosts(ゴースト)」にもすごく刺激を受けました。


 過去のワールドツアーのステージをYouTubeでいつでも見ることができるようになりました。それを今も夜な夜な見ています。見始めると2時間はアッという間ですね。夜はリビングの明かりなんかが窓に映るじゃないですか。踊る姿も映って見えるからやってみたりね。僕のパフォーマンスは田原俊彦オリジナルだけど、かなりマイケルを意識しているし、それは僕にしか出せないものだという思いはありますよ。


 マイケルは一番リアルタイムで見てきたアーティストで、同世代。30年以上も見てきたのでやはり特別です。しかも、僕の場合、ソロだから、自分で掴んだものをそのままオリジナルで動くことができる。グループのように合わせる必要がないから、マイケルを見て学んだスキルを自然と反映させることができる。それも強みだと思っています。


 好きな曲といわれたら「I Want You Back」以外では、ひとつは初期の「Rock With You」。全身スパンコールでカシャーンて感じの衣装の。まだ「スリラー」に行く前のブラックコンテンポラリーのノリもよくて。それから「Billie Jean」と、「Smooth Criminal」。この3曲かな。


 ツアーには何度も行ったけど、直接会ったことはないです。会っちゃダメでしょ。メチャ緊張するだろうし、「フー」なんて言ったら怒られそうじゃん(笑)。


 うれしかったのはロス五輪(84年)の時。現地を聖火ランナーで走ったら「日本のマイケル」って紹介された。マイケルには失礼かもしれないけど(笑)。



「哀愁でいと」「抱きしめてTONIGHT」も20代の時と同じキーで歌っている

 ずっとマイケルを見てきたから、僕の20代の動きは今見てもハンパじゃないですね。今、自分で見ても思います。とくにメドレーの切れ味なんかが。今は60代になり、60代の見せ方が自然にできていると思う。「哀愁でいと」「抱きしめてTONIGHT」も20代の時と同じキーで歌っているし、踊りも同じです。それをキープできています。


 でも、特別なことは何もしていないんです、本当に。ジムに行ったこともないですから。


 関節を緩めるのが大事なのでストレッチはやるけど、余計な筋肉は必要がないですから。筋肉がついてバキバキだと踊りも硬くなるし、スーツも似合わなくなる。しなやかに踊れる質のいい柔らかい筋肉をキープできているのがいいと思う。


 ただ、腹筋だけはすごいですよ。どうしてかというと田原俊彦だからだと思う、意識が。一歩外に出たら人に見られるけど、自分でも不思議なほど苦痛と思ったことがない。


 もうひとつ挙げれば、コンサートやディナーショーを毎年やるので、リハーサルもあるし、1週間に1回は体をバリバリ動かしているのがいいんだと思う。


 今年でデビュー45周年になります。80枚目になるシングル「愛だけがあればいい」をリリースします。今回はここ何年かはアッパーでハッピーなノリのいい曲が続いたので、変えてタイトル通りのちょっとシリアスで昭和テイストがある曲です。松井五郎、都志見隆、アレンジャーに船山基紀の最強トライアングルです。


(聞き手=峯田淳/日刊ゲンダイ)