【あの人は今こうしている】
堀内正美さん(俳優/74歳)
NHKの朝ドラ「おむすび」に神戸の町中華店主役で出演している堀内さん。1970年代にニヒルで愁いを含んだ顔立ちと雰囲気で人気を博し、知能犯、政財界の黒幕など個性派としても活躍したが、84年に神戸に移住。
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「震災から今年で30年。被災地支援はどうあるべきか、私の経験を次世代に教訓として残したいと思って本を出したんです。当時、ボランティアとして活動した若者たちが今、全国の社会福祉協議会や自治体の職員になっていて、講演依頼が結構あるので、きょうも取材と本のサイン会を兼ねて神戸から来ました」
渋谷の談話室で会った堀内さん、そう言ってほほ笑んだ。著書は「喪失、悲嘆、希望阪神淡路大震災その先に」(月待舎)。
■「同情してるより支援が先」と現場に急行
「私が震災に遭ったのは東京から阪神に移住し、調剤薬局を経営して11年目でした。自宅は北区にあり、比較的被害は少なかったのですが、3キロしか離れていない長田区の方からは白い煙が上がっている。被害の少ない地域ではテレビに映る避難所を見て『大変だね』と同情している。そんなこと言ってる間に支援するのが先だろうと、すぐに車を飛ばして住民の救助活動に当たりました」
コミュニティーラジオのパーソナリティーを務めていたので、被災者からの悲痛な訴えが殺到した。
「皆さん、何かにすがりたいから、どうしても電話が長くなる。そんな時、『頑張ろうね』と言うと、『はい』と言って電話を置いてくれる。
これが後に、全国に広まった「がんばろう!!神戸」というスローガンにつながった。
その後、「訪れた遺族や被災者が少しでも前を向いて歩けるように」との思いを込めて、神戸市中央区の東遊園地に全国から集めた火をともす「1.17希望の灯り」の設置に尽力。2011年の東日本大震災ではアドバイスを求められ、「義援金だけでなく、救援物資とメッセージをパックで送ることで被災者と心のつながりを持てるのでは」と「たすきプロジェクト」を立ち上げた。
その後も、毎年、「希望の灯り」や講演活動を続けている。
学生運動に挫折したことが人生の転機に
さて、堀内さんは東京生まれ。父は教育映画の監督として知られる堀内甲。小学生の時に父の本棚にあった土門拳の写真集「筑豊のこどもたち」を見て社会の格差や矛盾を感じた。高校時代に全共闘運動に飛び込みデモの日々。浪人時代には坂本龍一もメンバーの一人だった「全都浪人共闘会議」を結成し、桐朋学園大学に進学しても三里塚闘争に参加した。しかし、地元の農民から「あんたらはいいなぁ……帰るところがあって。わしら、帰るところないから」という言葉に打ちのめされ、実生活に根ざさない自分の運動に挫折。演出家の蜷川幸雄に誘われて舞台の演出助手になった。
そんなある日、TBSのプロデューサーにスカウトされる。それがデビュー作「わが愛」で、加藤剛の弟役だった。NHKの朝ドラ「鳩子の海」ではヒロインの相手役を演じて一躍全国区人気に。
だが、84年に突然、神戸に移住した。
「元々、役者になるつもりはなかったし、若い頃は社会を変えようと学生運動をしていたのに、結局挫折して芸能界でそこそこ稼いでいることにどこか負い目があったのかもしれません。ボランティア活動に立ち上がったのは、若い時の情熱がよみがえったのでしょう。ただ、胸を張って言えるのは、活動に公的な補助金は一切もらっていないということ。逆に持ち出しが多く、薬局経営者だったからできた活動だったともいえます。ページ数の関係で本に書ききれなかったことのひとつは、行政に任せきりではいけないということ。自分たちの命は自分たちで守る。そのために人と人の結びつきが大事なんです。震災で途方に暮れている人たちに周りの地域からたくさんのおむすびが届けられた。
17日に文化放送の震災30年特別番組に出演する。
(取材・文=山田勝仁)