3月20日、14人が死亡し、およそ6300人が被害に遭ったオウム真理教による地下鉄サリン事件から30年が経過した。節目となる今年、多くのメディアで特集が組まれる中、SNSでは同教団の教祖、麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚が民放のバラエティー番組に出演した際の映像が拡散された。


 地下鉄サリン事件が発生する4年前の91年に、麻原がゲスト出演したのが、当時人気番組だった『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系)。「麻原彰晃の青春人生相談」と銘打ったコーナーで、一人がけのソファに胡坐をかいて鎮座する36歳の麻原が、石橋貴明(63)と木梨憲武(63)から投げられた若者からの質問に答えるという、今では考えられない内容だった。
 
「バブル全盛の80年代後半から信者の家族や教団施設の周辺住民とのトラブルがワイドショーなどで放送されはじめ、教団の過激な思想や異常性は知れ渡っていました。麻原がメディア露出を増やしていたのは90年2月の衆院選で惨敗した後で、生物兵器開発など後のサリン事件につながる武装化を中断していた時期と言われています」(週刊誌記者)


 麻原は番組で、“かつて秋吉久美子が好きだった”“リンスはせず、ベビーシャンプーを使っている”といった視聴者との距離を縮めるような逸話を披露している。


■たけしをヨイショした麻原


「単なる“怪しい教祖”“おもしろいおじさん”としてキワモノ扱いされた麻原は巧みな話術で、スタジオ観覧者や視聴者にウケている印象がありました。プロデューサー以下番組スタッフはまさかその4年後に、戦後最悪のテロ事件を実行するとは思ってもいなかったでしょう」(芸能ライター)


 生ダラが放送された91年の年末には、『TVタックル』(テレビ朝日系)でビートたけし(78)が麻原と対談している。
 
「この対談で印象的だったのが、死について話をしたたけしを麻原が仏教用語や教義を持ち出してやたらと持ち上げていたことです。たけしと麻原はその後、月刊誌でも対談しています。当時は今のようにコンプラ意識が極めて薄く、麻原の登場が許される空気がありました。しかし、89年にオウム問題を追及していた坂本堤弁護士一家が横浜市内の自宅で教団幹部らに殺害されていますが、その直前にTBSが坂本弁護士がオウムを批判したインタビュー映像を教団幹部に見せたことが一家殺害事件の引き金になっています」(前出・芸能ライター)


 オウムの暴走に当時のテレビがひと役買っていたといっても過言ではないだろう。


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