【あの人は今こうしている】


 真山勇一さん
 (元キャスター、参院議員/81歳)


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 参議院選挙が7月20日の投開票日に向け、熱を帯びている。今回登場の真山さんは、日本テレビの人気キャスターから調布市議を経て参院議員になった。

がんを患い、3年前に政界を引退したが、今どうしているのか。


「議員を経験したら、政治を外から見るのと、中で活動するのでは、情報量や責任の重さなど、大きな違いがあると実感しました。政治には今も関心が強く、選挙にも注目しています。一緒に活動した仲間も出馬しているので、がんばってもらいたいですが、応援演説はすべて断りました」


 東京メトロ赤坂駅そばの所属事務所で会った真山さん、まずはこう言った。断ったとはなぜ?


「私が所属していた立憲民主党以外から出馬している人は応援しにくいし、体力的にも応援依頼のすべてを受けることはできません。あの人の応援はしたのに、この人はしないとなると、ややこしいことになりますからね」


 なるほど。真山さん2012年から約10年間参議院議員を務めたが、前回3年前の改選時、前立腺がん発症で政界を引退した。体調は回復したのだろうか。


「ステージ4だったのに、放射線治療でがんは消え、今のところ転移もありません。ところが、放射線治療を終えた直後に脊柱管狭窄症を発症し、下半身のしびれと立ち上がることができないほどの激痛に見舞われました。これも手術で問題はなくなったとはいえ、年相応に体力の衰えを感じますね。ですから、今は無理せず、好きな仕事だけをやるようにしています」


 講演や調布のコミュニティーFMのインタビュー番組「わくわくステーション」を担当するほか、この1月からは「劇団新制作座」の理事を務めているのだそうだ。


「『劇団新制作座』は明治の劇作家・真山青果の娘・美保が起ち上げた歴史ある劇団。私は真山青果の遠縁に当たる、ということで依頼を受けました。今は中学や高校での公演が多いので、一般にも広めていけたら、と微力ながら考えているところです」



夫人に先立たれ、1人暮らし

 28歳のとき、1歳年下のTBS勤務の女性と結婚したものの、八王子のマンションで1人暮らし。


「政界を引退し、これからは家内と2人で旅行でも楽しもうと思っていた矢先、家内は大動脈解離で突然、他界しました。家のことは任せきりにして、好きな仕事を思いっきりやらせてもらったので、とても後悔しましたね……。友人に『1人で暇だろう?』と言われますが、家事をして3度の食事も全部自分で準備していると、けっこう忙しい。主婦って忙しいんだなと思っているところです。家事の合間に週4日ほどジムに通い、新たにフルートを習い始めました」


 近所に住む50歳の一人息子は、米国のエンジンメーカー「カミンズ」日本法人でセールスを担当。男孫2人はサッカーに打ち込む。1人暮らしでも、息子家族がそばにいれば安心だろう。


 さて、1968年に日本テレビに入社した真山さんは、報道局で遊軍記者や政治部記者に。ニューヨーク特派員を経て88年、キャスターに転身し、「午後は○○おもいッきりテレビ」の“情報特急便”コーナーなどでニュースをわかりやすく伝え、人気キャスターになった。


「みのもんたさんはときどき本番中に居眠りして、アシスタントの高橋佳代子さんに起こされていましたが、本当にしゃべりがうまくて、勉強になりました。私は『NNNニュースプラス1』を担当していたとき、隣で一緒に司会をしていた木村優子アナによく怒られました(笑)。でも、“現場で取材し、自分の言葉で伝えたい”という気持ちが入社当初から強かったので、キャスターはやり甲斐がありましたね」


 日テレを定年し、特別待遇で63歳まで在籍した後、政界入りした。


「『恵まれていてうらやましい』と周りから言われました。ジャーナリスト志望だったので、キャスター転身を会社から指示されたのは想定外。政界に入ったのも、たまたま知り合った現職議員の方から推されてのことで、自ら望んだわけではありません。好奇心が強く、想定外でもチャンスがあるならと挑戦したのがよかった。望んだ以上の仕事ができて、ラッキーな人生だったなと思います」


(取材・文=中野裕子)


▽真山勇一(まやま・ゆういち) 1944年墨田区生まれ。68年、東京教育大学(現・筑波大学)を卒業し日本テレビ入社。報道局記者を経て88年、「NNNきょうの出来事」キャスターに。「午後は○○おもいッきりテレビ」「NNNニュースプラス1」などに出演。2007年調布市議会議員に。

12~22年、参議院議員を務めた。


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