1980年代中盤の日本の自動車市場では、新しいジャンルの小型乗用車が脚光を浴びていた。トヨタ自動車のカリーナEDが先鞭をつけた“4ドアスペシャルティカー”のカテゴリーである。

この分野にマツダは、カペラの基本コンポーネントをベースとしたニューモデルで参入。「ペルソナ」の車名を冠して1988年に市場に放った。今回は“INTERIOR-ISM”を謳って登場したマツダ流4ドアスペシャルティカーの話で一席。

【中年名車図鑑|マツダ・ペルソナ】一度は座ってみたかったリアシート──マツダならではの4ドアスペシャルティ


【Vol.106 マツダ・ペルソナ】

新しいファミリアやカペラなどのヒットで勢いに乗る1980年代中盤のマツダは、トヨタ自動車と日産自動車に続く国内№3の自動車メーカーの地位を確かなものとするために、車種ラインアップや販売網の拡充を精力的に実施していく。その一環として画策したのが、トヨタ自動車の「カリーナED」が開拓した“4ドアスペシャルティカー”カテゴリーへの参入だった。

マツダ流の4ドアスペシャルティカーを企画するにあたり、開発陣はコストや期間などを鑑みてカペラ(GD型系)の基本コンポーネントをベースとする方針を打ち出す。

ここに低くてスタイリッシュなピラーレスの4ドアハードトップボディを組み合わせ、同時に造形や素材に徹底してこだわったインテリアを内包させた。そして、走行性能に関しては“シルキースムーズ”を合言葉に、しなやかで上質な乗り味を演出する旨を決定した。

■パーソナル感を強調した車名で市場デビュー

【中年名車図鑑|マツダ・ペルソナ】一度は座ってみたかったリアシート──マツダならではの4ドアスペシャルティ

マツダ流4ドアスペシャルティカーは、「ペルソナ」(MAEP/MA8P型)の車名を冠して1988年10月に市場デビューを果たす。グレード展開はシート&ドアトリムのアレンジ別に2種類を設定。高級クロス張りがタイプA、手縫いのレザー張りがタイプBを名乗った。ちなみに、車名のペルソナ(PERSONA)はラテン語で“人、個人”を意味する。

「人の感性を大切にしたい」との思いを込めて命名していた。

ペルソナのスタイリングは柔らかいボディラインを基調とし、ほのかな色気を漂わせていたことが特長である。細部も凝っており、七宝を埋め込んだフロントオーナメント、凹型形状の大きなテールランプ、アーチ型のピラーラインなどが個性を主張した。イタリアンチックなホイールデザインも、足もとのドレスアップに貢献する。ボディサイズは全長4550×全幅1695×全高1335㎜/ホイールベース2575mmに設定した。

外観以上に個性的だったのが、インテリアのアレンジだ。

インパネからリアのシートバックにかけてのラインに連続性を持たせ、内装の周囲を曲線基調でまとめる。後席自体はラウンジのソファーのような造形で、既存モデルにはなかったくつろぎ感を演出した。インパネのデザインもオリジナリティあふれるもの。とくにライトとワイパーのスイッチ以外をメーターパネル回りのクラスターにシンプルにまとめた点が注目を集める。さらに当時のクルマとしては珍しく、灰皿をオプション設定としたことも話題を呼んだ。

メカニズム面は基本的にカペラからのキャリーオーバーだ。

搭載エンジンはFE型1998cc直列4気筒DOHC16V(140ps)とF8型1789cc直列4気筒OHC12V(97ps)の2機種を設定し、それぞれに5速MTと4速AT(EC-AT)のトランスミッションを組み合わせる。懸架機構ははスーパーSSサスペンションを採用した前後ストラット式で、ペルソナのキャラクターに合わせてダンパー類などはややソフトめにセッティングしていた。

■凝った造りのリアシートが後に語り草に――

【中年名車図鑑|マツダ・ペルソナ】一度は座ってみたかったリアシート──マツダならではの4ドアスペシャルティ

ペルソナは国際戦略車のカペラとは異なり、日本市場の専用モデルとして企画された。そのぶん開発陣は、日本人のスペシャルティカーにおける嗜好を存分に取り入れたつもりだった。しかし、デビュー当初を除いて販売成績は振るわず、1990年3月にF8エンジンをDOHC16V化(F8-DE型、115ps)するなどのマイナーチェンジを実施した後も、その流れは変わらなかった。また、ペルソナのユーノス・ブランド版として1989年10月に発表された「ユーノス300」も、同様の傾向を示す。

結果的にペルソナとユーノス300は1992年に販売を終了し、実質的な後継モデルとなるアンフィニMS-8やユーノス500などに道を譲ることとなった。

わずか4年あまり、しかも販売台数が少なかったモデルだけに、本来なら忘却の彼方へ消え去る1台であるはずのペルソナ。しかし、クルマ好き、とくにマツダ・ファンが集まると意外なほど話題に上った。その理由は、後席のアレンジがあまりにも独創的だったからだ。ラウンディッシュな側面および背面のラインに合わせてデザインされたリアシートは、まさにラウンジやリビングに置かれるソファーのよう。ピローのようなデザインのアームレストクッションも、ソファー感を際立たせていた。

後にバブルといわれる好景気の真っただ中だからできた“INTERIOR-ISM”の後席デザイン。掲載している写真を見て、1度くらいは座ってみたかったと思う読者は結構多い……かもしれない。

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。