妊娠中に「糖質制限」はOKか? 妊娠初期に酷い「つわり」に厳しい糖質制限はNG

 妊娠するとどうして妊娠悪阻(つわり)が起こるのかについての仮説を以前の記事で書きました(参考:『妊娠中に糖質制限して大丈夫?「つわり」のメカニズムと糖質制限の安全性』)。

 妊娠に伴って妊婦さんの体は糖質エンジンではなくてケトン体(脂肪酸)エンジンを主に回すようになるのではないか、それに切り替わるときにつわりになるのではないかというのが私の仮説でした。

 この記事に対して、いろいろな方からご意見いただきました。産婦人科の先生からは「妊娠糖尿病を指摘されたので糖質制限したら、血糖値が改善して無事に出産できた。その後も糖質制限生活を続けて、次の妊娠では妊娠糖尿病にならなかったし、お産も軽かった。でも、つわりだけは良くならなかった、という人はいますよ」という情報もいただきました。

 その後、妊娠悪阻とエネルギー代謝に関する論文を調べていて、ある可能性について触れておく必要があると考えました。「妊娠中の厳しい糖質制限が向いていない人、するべきでない体質を持っている人がいて、つわりの深刻さとも関連するかもしれない」という可能性です。

 あくまでも仮説なのですが、日本人の場合、494人に1人の割合で(広く考えると92人に1人かそれ以上の割合で)そういう方がいらっしゃるかもしれません。

「脂肪酸代謝異常症」の胎児の母親に起こる妊娠中のトラブル

 前回の記事(参考:『糖質制限すると死ぬかもしれない「脂肪酸代謝異常症」の患者は3万4000人に1人の割合』)で、「生まれつき糖質制限ができない体質の人」の存在について触れました。

 日本人だと3万4000人に1人の割合で存在する、脂肪酸代謝異常症の方々です。我々の細胞は、糖質と脂肪酸の両方をエネルギー源にできるのですが、脂肪酸代謝異常のある人は主に糖質しかエネルギーにできないので、糖質制限をすると命にかかわる低血糖になってしまいます。

 このようなメカニズムは、脂肪酸代謝に関わる様々な遺伝子の変異が原因となります。この中で「long-chain 3-hydroxyacyl-CoA dehydrogenase(LCHAD)」という分子の遺伝子に変異が起こって、赤ちゃんがこの遺伝子を両方とも失っている(ホモ変異の)場合、半分だけ失っているヘテロ変異で体質に問題のないはずのお母さん(保因者)に、妊娠中に重大な問題が起こる可能性が報告されています。

 この酵素がないと、長鎖脂肪酸をうまく利用できません。そしてLCHADの酵素活性を失った赤ちゃんの胎盤には、処理しきれない脂肪酸が多量に溜まってしまいます。これが妊娠後期のお母さんの肝臓に流れ込むと、「妊娠脂肪肝(Acute fatty liver of pregnancy:AFLP)」と呼ばれるかなり危険な肝機能障害を起こします。この場合、糖質制限をしていると症状が増悪する可能性があります(理論上です)。

妊娠中の糖質制限が危険な人の割合は?

 この酵素LCHADの遺伝子のある点突然変異(編注:DNAやRNAの、G、A、T、Cのうち一つの一塩基が別の塩基に置き換わってしまう突然変異)が、ヨーロッパ系の人たちの間では良く知られています。

 たとえば、ポーランド北部のバルト海沿岸に住んでいるカシューブ人の方々の場合、そのヘテロ変異は57人に1人、ホモ変異の赤ちゃんができる確率は13000回の妊娠に1回の割合となります。ドイツなどの近隣諸国でも、100人に1人はヘテロ変異を持つと推定されています。

 日本人では欧米型のLCHAD遺伝子の点突然変異は見つかっていませんが、新生児タンデムマススクリーニングでは195万人中2人において、この遺伝子を含む三頭酵素という遺伝子領域に変異のある赤ちゃんが見つかっています。発症する疾患は似たものになりますが、こちらのほうが少し重症です。

 その割合から逆算すると、日本人でも494人に1人の割合でその遺伝子変異保因者(ヘテロ変異)のお母さんがいる計算になります。ヘテロのお父さんとペアになった場合にホモの子供を持つ可能性は4分の1なので、97万5000回の妊娠に1回起こりえます。その割合で「妊娠中の糖質制限が危険な人がいる」ということです(理論上です)。

ヘテロ変異であっても栄養代謝機能に異常が出る

 LCHADのヘテロ変異の人は、妊娠していない時には何の症状も指摘されていません。妊娠しても赤ちゃんが運悪く、ホモ変異にならなければ、妊娠脂肪肝にもならないと予測されます。

 ですが、ヘテロ変異の方の代謝機能には、本当に何の異常もないのでしょうか?

 人間で見つかった遺伝子変異と同じような変異をマウスに導入(あるいは遺伝子を欠損)させて、何が起こるかを研究する「ノックアウトマウス」と呼ばれる方法があります。LCHAD遺伝子を含む三頭酵素の遺伝子についても、ノックアウトマウスが作成され、何が起こるか研究されています。すると、ヘテロ変異マウスでも肝臓に脂肪が溜まり、インスリン抵抗性が上がることが確認されました。つまり、ヘテロ変異であっても栄養代謝機能に異常が出ることが明らかになったのです。

 人間のヘテロ変異の方で、肝機能やインスリン抵抗性に問題があるかどうかの報告はまだありません。その問題についての研究は、これから始まるところだと思います。

 しかし、ミトコンドリアでの長鎖脂肪酸を代謝するメカニズムは、マウスと人でほぼ共通であり、人間のヘテロの方でも肝臓での脂肪酸代謝能力が低くなっている可能性が考えられます(仮説です)。

 妊娠中のお母さんの肝臓は、自分の分だけでなく、お腹の赤ちゃんや胎盤の栄養処理も負担することになるので、この酵素のヘテロ変異の人が妊娠した場合には、お腹の赤ちゃんがホモ変異でなくても、脂肪酸代謝と糖新生が追いつかない可能性はあります。その場合、糖質制限をすると状況を悪化させると思われます(仮説です)。

 このような状況下では、妊娠中の厳しい糖質制限はお勧めできません。しかし、いちいち自分の脂質代謝遺伝子群の遺伝子配列を調べてから妊娠を考えることは、現時点ではできません。妊娠中の血液検査で肝機能異常を指摘されてからでは、対処が遅すぎる可能性があります。ではどうすればいいのでしょうか?

「つわりが酷いお母さん」も脂質代謝機能が低い体質の可能性が

 今回ご説明した「LCHADのヘテロ変異の妊婦さんの胎児がホモ変異である症例」では、そのかなりの症例で、妊娠初期(13週齢ぐらい)までに重症の妊娠悪阻(妊娠中絶を考えるような激しいつわり)が発生することが報告され、それには肝機能異常を伴います。

 私は以前の記事で「つわりは脂肪酸(ケトン体)エンジンをうまく動かせなくて、糖新生能力が低い妊婦さんで症状が強いのではないか」と書きました。その一方で、マウスの研究から考えると「LCHADあるいは三頭酵素のヘテロ変異のお母さんは体質的に脂質代謝能力、糖新生能力が低い可能性がある」と予想されます。

 これらのことを考えると、妊娠初期から酷いつわりで苦しんでいる妊婦さんは、脂質代謝能力がほかの方よりも低い可能性があります。つまりそういう人に、厳しい糖質制限はお勧めできません(もちろん、そういうお母さんの場合は、糖質制限なんて全然無理、糖質をほんの少しずつ食べるのが精いっぱいという状況かもしれませんが)。

 私が産婦人科医になった頃には、まだAFLPの原因遺伝子はわかっていなくて、1万数千回から数万回に1回の割合で起こる原因不明の怖い妊娠合併症であるという概念でした。三頭酵素のホモ変異が発生する妊娠は97万5000回に1回ですから、三頭酵素の変異だけがAFLPの原因であるとは考えられません。

 さまざまな遺伝子の変異でAFLPが発生する可能性があります。新生児タンデムマススクリーニングから、日本人ではさまざまな脂肪酸代謝経路の異常(ホモ変異)が3万4000人に1人発生することがわかっています。これらの一部もまたAFLP発症の候補であると想定すると、ヘテロ変異を持つ方は妊娠中の厳しい糖質制限を避けておくほうが良いと考えます(仮説です)。

 3万4000回に1回の割合でホモ変異が発生する、これを仮に単一の遺伝子異常で発生すると計算すると92人に1人の日本人はヘテロ変異を持つ可能性があります(正確には、それぞれの遺伝子変異について確率を計算して合計する必要がありますし、ホモ変異の赤ちゃんの一部は生まれる前に亡くなる可能性もあるので、ヘテロの方はもう少し多いかもしれません)。

 そう考えると、理論上は92人に1人かそれ以上の確率で妊娠中の糖質制限はお勧めできない体質をお持ちである可能性があります。そして、そういう方は、酷いつわりに悩まされている可能性があります(仮説です)。

 また、34000回のお産に1回は命にかかわる合併症(妊娠脂肪肝)が起こり易い可能性もあり、その場合に糖質制限は、危険な食事方法となる可能性があります(仮説です)。

 ではどうすればいいのでしょうか? その対処方法については次の記事で書かせていただきます。
(文=吉田尚弘)

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吉田尚弘(よしだ・ひさひろ)

神戸市垂水区 名谷病院 内科勤務。1987年 産業医科大学卒業、熊本大学産婦人科に入局、産婦人科専門医取得後、基礎医学研究に転身。京都大学医学研究科助手、岐阜大学医学研究科助教授後、2004年より理化学研究所RCAIチームリーダーとして疾患モデルマウスの開発と解析に取り組む。その成果としての<アトピー性皮膚炎モデルの原因遺伝子の解明>は有名。
その傍らで2012年より生活習慣病と糖質制限について興味を持ち、実践記をブログ「低糖質ダイエットは危険なのか?中年おやじドクターの実践検証結果報告」を公開、ドクターカルピンチョの名前で知られる。2016年4月より内科臨床医。


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