「名作ゲームのタイムアタック」は今や競技化されており、それまでも個人レベルで行われてきたことがインターネットの発達によってプレイ動画をすぐさま世界中に配信できるようになったため、タイムアタック専門のプレイヤーが急増しました。
そして此度の『ファミコン世界大会』発売により、かつてのファミコン少年が気軽にタイムアタックに参戦できる環境が整ったと言えます。
◆タイムアタックにピッタリな「1-1」
かつて、ファミコンソフトのタイムアタックは人力でそのタイムを計算しなければならないという事情がありました。それは筆者自身が少年時代に経験しています。
筆者は1984年生まれのいわゆる「スーファミ世代」。しかし、90年代前半の子供はファミコンとスーパーファミコンの両方を持っていることが普通でした。筆者の家庭がそれだけ豊かというわけでは全くありません。何しろ、筆者の親父は八王子医療刑務所に勤務していた法務省矯正局の国家公務員。字面で書けば様になりますが、当時の公務員というのはバブルの恩恵には一切ありつけません。老朽化した官舎に住む、安月給の役人です。
その官舎(というより団地)には筆者と同い年の子が3人いました。彼らは例外なく、家にファミコンとスーパーファミコンを備えていたことを今でも強烈に覚えています。
学校が終わったら、彼らを家に誘って一緒にファミコン。ある時期、筆者と同じ官舎の親友Mくんとで『スーパーマリオブラザーズ』の1-1をタイムアタックしようという話になり、親父のストップウォッチを持ち出してやってみたことがあります。画面に表示されているタイムよりも、より正確かつ細かい数字を出すためです。
その時のタイムは覚えていませんが、筆者はMくんにまったく勝てなかったことはよく覚えています。
◆今遊んでも、結構難しいぞ!
この時代の技術では、ステージ区切りのタイムアタックは最初の面しか気軽にできなかったという事情があります。
その点、『スーパーマリオブラザーズ』の1-1は、リセットボタンを押せば何度でもすぐに挑戦できます。また、1-1はクリアするだけなら非常に簡単ですが、タイムアタックとなると障害物がとんでもなくいやらしい位置に配置されていることが分かります。全力疾走のまま走り続けたら、土管にごっつんこしたりクリボーに真正面からタックルしてしまったり……。
結構難しいんです、『スーパーマリオブラザーズ』の1-1タイムアタック!
「どうしてこんなところにクリボーがいるんだ!」「何でこんなに背の高い土管を作ったんだ!」と憤慨してしまうことが多々あり、それをあとでじっくり考えてみると「1-1って、本当によくできたステージだな」という感想が脳の片隅からじわじわと出てきます。
「このゲームはこういう要素があるんですよ」とさりげなくプレイヤーに教えている1-1は、極めて精緻に設計された建造物と表現することもできます。
◆『ドンキーコング』の1面も
また、『スーパーマリオブラザーズ』と平行して少年時代の筆者がハマっていたのは、『ドンキーコング』の1面タイムアタックです。
これも『スーパーマリオブラザーズ』1-1と同様、リセットボタンを押せばすぐに再チャレンジできるという事情がありました。
この『ドンキーコング』も、タイムアタックをするにはかなりシビアというか難しいところのある作品です。
マリオが梯子を上る場面、実は完全に上り切らないと横移動ができず、途中で止まってしまいます。ここでつっかえてタイムロスしてしまう……なんてジレンマは、令和に発売された『ファミコン世界大会』でも悩みの種として存在し続けています。ただ、それらの癖を完全に把握して徹頭徹尾流暢に進んでいけば、20秒台も夢ではありません!
◆タイムアタックは「生涯スポーツ」だ
本来の「全面クリアを目指す遊び方」ではなく、あくまでもタイムを競うためにプレイする。ファミコン作品のタイムアタックは、あらゆる世代の人が平等な条件下で戦うことができるスポーツ競技と言えるのではないでしょうか。
通常、スポーツ競技の大会は年代・年齢別のレギュレーションが設けられています。それは当然で、20代の選手と50代の選手が同じ場に立ったらおおよそ勝つのは20代の選手でしょう。そのような年齢差による有利不利が少ない競技は「生涯スポーツ」として近年注目されていますが、ファミコン作品のタイムアタックは極めて理想的な生涯スポーツではないでしょうか。
若い頃、ゲーセンの『ドンキーコング』で腕を磨いたおじいちゃんが、『ファミコン世界大会』で素晴らしい記録を叩き出して孫に尊敬される。そうした光景が、今この瞬間に世界のどこかで繰り広げられているかもしれません。