時は幕末、暗殺された父・佐久間象山(さくま しょうざん)の仇討ちを志して新選組に入隊した三浦啓之助(みうら けいのすけ)。
しかし一向に仇討ちどころか乱暴狼藉の数々、局長である近藤勇(こんどう いさみ)の寵愛をいいことに好き放題やっていました。
どうにか追っ払いたい副長・土方歳三(ひじかた としぞう)らの説得もどこ吹く風、啓之助の暴走は留まるところを知りませんでした。が……?
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憎まれっ子、世に憚る!父親の仇討ちで新選組に入隊した三浦啓之助の生涯を追う【上】
■新選組を脱走するも……
そんな啓之助でしたが、ついに慶応二1866年に悪友?の芦谷昇と一緒に新選組から脱走してしまいます。
だったら土方に説得された時点でさっさと帰れば良かったのに……とも思いますが、新選組に居座るだけ居座った挙げ句、行いを改めることもなかったであろうため、あるいは唯一最大の庇護者であった近藤勇から見放され、とうとう居場所がなくなってしまった(たぶん両方)とも考えられます。
「追えっ!脱走者は切腹だ!」
……と口では言いながら、内心「やれやれ、やっと居なくなってくれたか」と胸をなで下ろした土方たちの安堵が察せられます。
追手の中には本気で啓之助を切腹させたい者もいたでしょうが、その多くは「あんな奴、居なくなってくれればそれで充分」とでも思っていたのか、追跡もゆるゆるだったようで、啓之助たちは無事に故郷・信州松代まで逃げおおせたのでした。
辛くも切腹の危機から脱した啓之助。
この時、共犯者であった芦谷昇は啓之助を囮(おとり)にして逃亡。裏切られたことを知った啓之助の無念は察するに余りあるものの、身から出た錆と言うよりありません。
■「おめェの頭脳は、新しい日本で必ず役に立つ……」
「……だぁからロクなことにならねェっ言(ツ)ったじゃねェか!ちったァ他人の言うことを聞きやがれこのトンチキっ!」
獄につながれた啓之助の身柄を引き受けたのは亡き父・象山の義兄・勝海舟。幕府の要職にあって激務の中、啓之助の実母であるお蝶に泣きつかれたのかも知れません。
啓之助の出獄(イメージ)
「ごめんよ義伯父さん……恩に着るよ」
「バカ野郎、てめぇ次に悪さしたらもう助けねェからな!」
そんなやりとりがあったかどうだか慶応四1868年、啓之助は福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)の開いていた慶應義塾に入学します。
「えぇ……義伯父さん、二十一歳で今さら学問かよ……」
「いいから入っとけ!聞けばお前ェ、新選組じゃあ偉ッそうに『これからの日本は学問で切り拓く』とか何とか吹いてたらしいじゃねェか!」
そして、真面目な顔で言いました。
「……いいか啓之助。これから江戸は大混乱(おおごと)ンなるかも知れねェが、俺ァ何としてでもそれを食い止めるつもりでいる。そういう切羽詰まった状況で、おめェにうろちょろされたら足手まといなンだよ……いや、おめェが能無しって訳じゃあねェ。むしろおめェが親爺から受け継いだ頭脳は、新しい日本でこそ役に立つ……だからそれまでは、ここ(慶應義塾)で真面目に学問を積んでおけ……悪い事ァ言わねェ……いいな」
「……解ったよ、義伯父さん」
勝海舟の言葉がよっぽど身に沁みたのか、慶應義塾での素行については(少なくとも記録されるような)問題を起こすようなことはなく、明治維新の戦乱に巻き込まれることもなかったようです。
最期まで闘い抜いた土方歳三、Wikipediaより。
かつての古巣である新選組の滅び去る様子を、啓之助はどんな思いで見守っていたのでしょうか。
■エピローグ
さて、明治維新が成って新しい世となり、そろそろ悪行の余熱(ほとぼり)も冷m……もとい、学問もよかろうと仕官先を求めた啓之助は、すっかり定着してしまった悪名を払拭しようと思ったのか、名を元の恪二郎から頭文字をとって恪(いそし)とし、名字も三浦から佐久間に戻して佐久間恪(さくま いそし)と称しました。
そして司法省に押しかけ、自分が「天下に名高き佐久間象山先生の息子である」ことを最大限にアピールして職にありついたまでは良かったのですが、世が収まった安堵感からか又しても悪行の心が芽生えてしまい、あろうことか警察官と喧嘩騒ぎを起こして懲戒免職。
「本当に、とんでもない奴だ」「まったく」
法の番人が率先して法を犯してどうするんだ……そんな勝海舟の苦い顔が浮かびそうですが、それしきで懲りるようなタマでもなく、悪い意味で父・象山ゆずりの図太さを発揮して、今度は松山県(現:愛媛県松山市)で裁判所判事に就任。
法を犯した人間が他人を法で裁く(権力を握る)不条理に、採用担当官は何も感じなかったのか、それとも個人の前歴に関する調査が大らかだったのか、恐らく後者だったのでしょう。
しかしそんな恪も悪運が尽きたのか明治十1877年2月26日、食中毒であっさり亡くなってしまいました。
父親譲りの明晰な頭脳を、これまた父親譲りの傲慢さで活かす機会を逸したその人生は、まさに「憎まれっ子、世に憚る」を地で行ったものでした。
※参考文献:
前田政記『新選組 全隊士 徹底ガイド』河出文庫、平成十六2004年1月
新人物往来社『新選組大人名辞典(下)』新人物往来社、平成十三2001年2月
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