「東洋のガラパゴス」小笠原諸島を大発見した戦国武将とその子孫のエピソード【後編】

■前編のあらすじ

江戸時代、「かつて祖先・小笠原貞頼(おがさわら さだより)が家康公より『南の島を発見したら領地として与える』という約束を取りつけ、見事に発見した島(小笠原諸島)の領有権を相続したい」と南町奉行所に訴え出た宮内(くない)こと小笠原貞任(おがさわら さだとう)。

果たして、彼の訴えは認められるのでしょうか?

前回の記事はこちら

「東洋のガラパゴス」小笠原諸島を大発見した戦国武将とその子孫のエピソード【前編】

■訴えに対して、大岡越前のお裁きは?

……さて、話は享保に戻って子孫の宮内。貞頼が無人島を発見したエピソードをまとめた『巽無人島記(たつみぶにんじまき)』の記述を元に、小笠原諸島への渡航と領有権の認可を願い出たのでした。

「東洋のガラパゴス」小笠原諸島を大発見した戦国武将とその子孫のエピソード【後編】


 大岡越前守忠相。Wikipediaより。

町奉行の大岡越前守忠相(おおおか えちぜんのかみただすけ)は詮議の結果、享保十三1728年、宮内に対して実地検分のため渡航許可を与えます。

欣喜雀躍した宮内は、さっそく甥の小笠原長晁(おがさわら ながあき)を先遣隊に出すものの、船が難破して帰らぬ人となってしまいました。

それでもめげずに再渡航に向けて資金調達に励んでいた宮内ですが、享保二十1735年になって南町奉行所が渡航許可を取り消し。宮内は詐欺罪に問われて財産没収、重追放の刑が下されたのでした。

一度は聞き入れられた訴えが退けられた決定打は、宮内が証拠として提出した『巽無人島記』の記述。貞頼が発見したとされる無人島には延宝三1675年に幕府が調査団を派遣しており、その報告と内容が大きく異なる(父島の面積や、亜熱帯地域ではありえないオットセイの棲息など)ため、『巽無人島記』は宮内が捏造した偽書と断定。

あわせて読みたい

Japaaanの記事をもっと見る 2019年10月4日のライフスタイル記事
この記事にコメントする

\ みんなに教えてあげよう! /

トピックス

今日の主要ニュース 国内の主要ニュース 海外の主要ニュース 芸能の主要ニュース スポーツの主要ニュース トレンドの主要ニュース おもしろの主要ニュース コラムの主要ニュース 特集・インタビューの主要ニュース

ライフスタイルニュースアクセスランキング

ライフスタイルランキングをもっと見る

コメントランキング

コメントランキングをもっと見る

コラムの人気のキーワード一覧

新着キーワード一覧

このカテゴリーについて

生活雑貨、グルメ、DIY、生活に役立つ裏技術を紹介。

通知(Web Push)について

Web Pushは、エキサイトニュースを開いていない状態でも、事件事故などの速報ニュースや読まれている芸能トピックなど、関心の高い話題をお届けする機能です。 登録方法や通知を解除する方法はこちら