東京のどのエリアからもアクセスが良く、オフィス街からも近い皇居外周路は、日本で最も有名かつ人気の高いランニングスポットのひとつとなっています。昨今のランニングブームもあり、皇居ランナーは年々増加傾向にあるのだそう。


皇居外周にはいくつかの門があり、距離の目安にもなっているようですが、さて、ランナーの皆さん、その門の歴史をご存知でしょうか。実は何気なく走りすぎている方も多いのでは?

しかしながら、スルーしていたあの門も、あの門も、元を辿れば400年の歴史を誇る江戸城の門なのです。門の歴史を知れば、走るのがもっと楽しくなるかもしれません。

■半蔵門の名前の由来

さて、今回の「皇居ランナー必見!知って走ればもっと楽しい江戸城の門」は、ランニングのラストスパートを出迎える皇居の西側、半蔵門です。実は、江戸城開府の時に、徳川家康がここから入城したという、非常に貴重な歴史を有する門です。

半蔵門の名前の由来は服部半蔵の組屋敷があったという説と、山王祭りに使う象が大き過ぎて半分しか門に入らなかったという説があります。


名前の由来は服部半蔵?「半蔵門」 -皇居ランナー必見!江戸城...の画像はこちら >>


半蔵門

しかし、この門の付近には、服部家の部下(与力30騎、伊賀同心200名)が組屋敷を構えており、四谷へと通じる甲州街道(現在では新宿通り)沿い一帯が麹町、更にその周りは番町と呼ばれて見渡す限りの旗本屋敷が所狭しとひしめいていたことから、おそらく服部半蔵の説の方が妥当だというように見られているようです。

半蔵門は江戸城の正門である大手門の反対に開かれる江戸城の搦手門であるため、将軍の身にもしも何かあった際には、将軍はこの半蔵門から外に出て甲州街道を抜け、幕府の直轄地(天領とも)・甲府へ逃れるという想定でした。

そのもしもの時には将軍をお守りしながら同行するために服部半蔵がこの地に住んでいたというのが定説です。ちなみに、この半蔵門が搦手門であるならば、鬼門とされたのが以前ご紹介した平川門、別称不浄門でしたね。

■今の半蔵門は実は旧和田倉門

しかし実は、太平洋戦争で旧来の門は焼失してしまい、現在の門は皇居の東側にあった和田倉門の高麗門を移築したものだそう。

少し残念ではありますが、旧和田倉門だという事で、それはそれで見ごたえがありますね。


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