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渋すぎる!平隊士の身分を貫いた新選組の”仕事人”蟻通勘吾の美学【上】

渋すぎる!平隊士の身分を貫いた新選組の“仕事人”蟻通勘吾の美学【中】

時は幕末、京都を中心に討幕派浪士の取り締まりに奔走していた剣客集団「新選組(しんせんぐみ)」。

その業績については局長の近藤勇(こんどう いさみ)や「鬼の副長」土方歳三(ひじかた としぞう)と言った主要メンバーのみクローズアップされがちですが、現場の最前線で闘い抜いた隊士たちの活躍なくして語ることは出来ません。


新選組の結成初期から最期まで平隊士の身分を貫いた蟻通勘吾(ありどおし かんご)と山野八十八(やまの やそはち)は、数々の修羅場をくぐり抜けながら肩書にこだわることなく、プロフェッショナルの矜持を持って任務を完遂して来ました。

しかし討幕の機運はもはや抑えがたく、剣術≒武士の世は終焉を迎えつつあるのでした……。

■戊辰戦争で各地を転戦するも……

慶応四1868年1月、帝(明治天皇)を奉戴した新政府軍が政権を返上(大政奉還)した旧幕府軍を相手に戦闘を開始。後世に伝わる「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」の火蓋が切って落とされました。

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新政府軍に敗れ去る新選組(甲陽鎮撫隊)。錦絵「甲州勝沼驛ニ於テ近藤勇驍勇之圖」明治時代。


新選組はこれまでの恩義によって旧幕府軍に味方し、鳥羽・伏見(現:京都府京都市)の戦いに敗れ、江戸まで敗走した後も甲州勝沼(現:山梨県甲州市)で捲土重来を期した勝負を挑みますが、形勢の不利を悟った隊士たちは次々と脱走。

中には二番組長の永倉新八(ながくら しんぱち)や十番組長の原田左之助(はらだ さのすけ)と言った幹部メンバーまでも新選組を見限る中、勘吾や八十八たちの闘志が萎えることはありませんでした。

とは言え気合や闘志で劣勢を覆すのは難しく、4月3日には局長の近藤勇が新政府軍に降伏(4月25日に処刑)、土方歳三の判断によって新選組は江戸を離れた旧幕府軍と合流。

4月19日には宇都宮城(現:栃木県宇都宮市)の籠城戦、その後も白河城(別名:白河小峰城。現:福島県白河市)と転戦するも、勘吾は閏5月1日の戦闘で瀕死の重傷を負ってしまいます。

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新政府軍の銃撃により、瀕死の重傷を負った勘吾(イメージ)。


勘吾の負傷について詳細な記録はないものの、もしかしたら新政府軍が誇る最新鋭の銃砲によって「蜂の巣」にされたのかも知れません。どんな剣術の達人であろうと、一発の銃弾には敵わない……そんな現実を突きつけられた心中は、察するに余りあるものです。

さて、後方へ搬送された勘吾ですが、いかんせん負傷の範囲が広すぎて、手の施しようがありません。

匙を投げられてしまった勘吾はそのまま放置され、戦闘の趨勢を目にすることなくひっそりと……。

■蟻通勘吾は「二度死ぬ」、最期まで闘い抜いた不屈の闘志

……くたばるようなタマではありませんでした。

「もうどう見ても絶対死ぬでしょコレ」と言うことで「討死」とされた勘吾は、不屈の闘志で重傷を治してしまいます。


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蝦夷地へ渡航する旧幕府軍。この中に、勘吾も写っているのだろうか。Wikipediaより。

新政府軍の追及をやり過ごし、身体が動けるまでに快復した勘吾は大急ぎで北上した土方歳三らに追いつき、10月12日に仙台折浜(現:宮城県石巻市)から出航。新国家を樹立する旧幕府軍の野望を果たすため、蝦夷地(現:北海道)へと渡ったのでした。

しかし箱館(現:北海道函館市)に着くと、ずっと一緒に闘ってきた八十八が別れを告げます。


その理由は京都に残してきた恋人(屯所の近くにあった水茶屋『やまと屋』の娘?)に未練があったとも言われますが、もしかしたら戦争の行く末を悟った土方歳三が、家族や想い人がいる者に対しては、離脱するよう説得したのかも知れません。

「……左様か……名残惜しいが致し方あるまい……達者でな……」

特に身寄りもおらず、また剣術を棄てて生きる術も見当がつかない勘吾は、ここ箱館を死に場所と心得て最期まで闘うことになります。

かくして明治二1869年5月11日、箱館山で新政府軍の総攻撃を防ぎきれず、勘吾は討死したのでした。享年31歳。

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函館市立博物館蔵「箱館戦争図」明治時代

勘吾の討死から一週間後の5月18日、箱館政権の総裁・榎本武揚(えのもと たけあき)らが降伏。新選組と共に戊辰戦争は終焉を迎えたのでした。


勘吾たちの墓所は大円寺(現:北海道函館市)にあるそうで、かつて敵味方に分かれて戦った多くの志士たちが、北の大地から日本の行く末を見守っています。

【完】

※参考文献:
永倉新八『浪士文久報告記事』新人物文庫、2013年9月6日
永倉新八『新選組顛末記』新人物文庫、2009年5月1日
好川之範 『箱館戦争全史』新人物往来社、2009年1月1日

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