今も昔も、私たちの心を掴んで離さない特別な存在、忍者。小説やドラマ、近年では忍者をテーマにした大ヒット漫画も記憶に新しいのではないでしょうか。


こうした数々の創作作品に描かれる忍者像は、多かれ少なかれデフォルメされているにしても、日本には昔から本当に忍者という存在はありました。江戸時代には、将軍の手先となって江戸城に仕え、隠密活動を行った「御庭番」という役職もあったほどです。

江戸時代に将軍に仕え実際に隠密活動をしていたリアル忍者「御庭番」とは?

■百人番所

そんな江戸城の中で、忍者を多く輩出した伊賀や甲賀の国の者たちが100人、交代で詰めていた番所がありました。その名も「百人番所」。

そのまんまといえばそのまんまですが、本当にこの番所には、「百人組(鉄砲百人組)」といって、根来組、伊賀組、甲賀組、二十五騎組(廿五騎組)という4つの組織が交代交代で100人ずつ、詰めていたのです。

その「百人組」というのは、厳密にいうと、与力20名、その手下の同心が100名で構成されていました。
同心が100人ずつ詰めていたので、「百人番所」なのです。

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百人番所

■百人組の実態は忍者!?

その「百人組」の事を、表立って「忍者」とは言っていませんが、「伊賀」や「甲賀」ときけば、ピンとくる読者の方も多いことでしょう。伊賀、甲賀は昔から忍者の国としてとくに有名ですから、江戸城の守りを固めるにあたって、警護に秀でた能力を持ち、そうした隠密活動も得意な者たちが選ばれて詰めていてもおかしくありません。

百人番所で江戸城を警護していた100人組織「百人組」実態は忍者だったのか!?


歌川国芳 画

そう考えると、「忍者」という特殊部隊の存在も、がぜんリアル感が増しますよね。この番所があった場所も、江戸城の表門である大手門を入って、同心番所を通り、さらに下乗門と言われる、大名が乗物から降りなくてはならない大手三ノ門をくぐった先にあるのが百人番所ですから、本丸に繋がる江戸城の入り口として、警戒に警戒を重ねていたことが分かります。

その場所に詰めていたのが、忍者のような能力を持った者たちだとしてもおかしくないと考えられるのではないでしょうか。


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