泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たつた四杯で夜も眠れず
なんていう川柳が当時詠まれたほどでした。
庶民にとっては、まさに寝耳に水の状態でしたが、当時の幕府は、事前にオランダを通じてペリー艦隊の来航の可能性を伝えられていたため、ある程度の心構えは出来ていたようです。ところが、実際に巨大な軍艦をもって来航されると、やはりその衝撃は大きく、たちまち幕府に統治者としての能力がないことが明らかになってしまいました。
こうして、大混乱の中でやってきた黒船でしたが、どうやら発砲する気がないということが分かると、庶民は幕府の禁令を破って黒船見物を楽しんだというから、呑気なものです。
このときの将軍は12代 徳川家慶(とくがわいえよし 在職期間:1837年 ~ 1853)でした。残念なことに家慶は、政治にはあまり関心がなく、気も弱く、どうやら将軍としての器ではなかったようです。
12代徳川家慶(Wikipediaより)
ペリーが来航して幕閣が対応に追われる中、家慶は病に伏せ、国家の命運を左右する重大事を決定できる状態ではありませんでした。そして家慶は老中首座の阿部正弘に全て任せ、そのまま帰らぬ人となってしまいます。
1年後の再来航を告げてペリーが去った後、僅か10日後のことでした。その死因は、熱中症だといわれています。享年61歳でした。
家慶の後は家定が、13代目として将軍職に就任します。
徳川家定像(Wikipediaより)
学校の社会科の時間に、ペリー来航の前後について習っていた記憶をお持ちの方も多いと思います。ただこの時期はどうしても老中や大老たちの話はでてくるけど、将軍の話がほとんど出てこなかったのも、こんな事情があったからかもしれません。
家慶の亡くなった翌年、幕府はアメリカと和親条約を結ぶことになります。鎖国体制はこうして崩れ、日本はいよいよ幕末の動乱期に突入するのです。
激動の時代に将軍となった徳川家慶。時代がもう少し平和であったならば家慶も、文芸に秀でた将軍として、今よりも知名度があったのかもしれません。
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