♪何のために生まれて 何をして生きるのか人間として生まれた以上、世に何か生きた証を残して死にたい。そんな思いを抱えて生きている方は少なくないのではないでしょうか。
答えられないなんて そんなのはいやだ!……♪
※やなせたかし「アンパンマンのマーチ」より
しかし世の中はすでに先駆者で溢れかえり、とても自分ごときが何かをなせる余地はない……そう思い込んでしまう方も少なくないかも知れません。
今回はそんなあなたに向けて、江戸時代の武士道教本『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』から、こんな格言を紹介。
人生の意味を模索する方の励みになりましたら幸いです。
■「彼も人なり、鬼神にあらず」
志もなく、人からバカにされて終わる人生なんて、そんなの生きている意味があるのだろうか(イメージ)
一四二 人は立ちあがる所なければ物にならず。人より頭を踏まれ、ぐづぐづとして一生果たすは口惜しき事なり。誠夢の間なる、はつきりとして死にたきことぞかし。ここに眼の附くは稀なり。在家も出家も、当時何某々々家老年寄役にて御用に立ち、何和尚々々一脈を持ちて居るを見て、「彼も人なり、鬼神にてなし、すこしも劣るべき謂はれなし、若し誰々に乗り越えずんば腹掻き切つて死ぬべし。」と突つ立ちあがれば、即座に上ハ手になることなり。功を積みてからと云ふはまだぬるし。一念発起すれば則ち立ち上ることなり。斯様に突つ切つて踏み破ること成りがたく、志はありても、何やかや取り附きて、埒明きがたき時もあり。【意訳】人間として生まれて、志を立てねば生きている甲斐がない。他人からバカにされながら、鬱屈を抱えて一生を終えるなんて、絶対に嫌だ。左様の時、手握吹毛剣所触著無不剗却(手に吹毛剣を握りて触著するところ、剗却せざるなし)と云ふ句などを力にすべし。
※『葉隠聞書』第十一巻より
人生なんて本当に夢のようなのだから、全力で生きている実感を味わい尽くして死にたいとは思わないか。こういう価値観や発想で生きている者は実に少なく、大抵は目先の損得や楽しみにあくせくしてばかりだ。
世俗の者も聖域の者も、例えば誰それが家老や年寄として奉公し、何とか和尚が悟りを開いて衆生を救っていると聞いて何と思うか。ここに違いが現れる。
「彼だって、私と同じ人間ではないか。鬼神という訳ではないのだから、決して敵わないということはあるまい。志のままに生き抜いて、それでもダメなら腹を掻き切って死ねばそれでいいじゃないか」
と腹をくくれば、その時点でもう勝ったも同じだ。
しかし多くの者は「そんな大層な志を立てるのは、相応に偉くなってからでよい」と言い訳をするばかりで、行動には移さない。そういう手合いに限って、ずっと愚痴と言い訳ばかりで生涯を終えてしまうものである。
せっかく志を抱いたならば、何やかんやと御託を並べてないで突き進むべきだ。
とは言うものの、人間だから迷いが生じることもあるだろう。そういう時にとっておきの呪文がある。
「手に吹毛剣(すいもうけん)を握りて触著(そくちょ)するところ、剗却(せんきゃく)せざるなし」
(我が手にする吹毛剣に斬り払えぬものなどあるものか!)
これを唱えると、勇気と力が湧いてくるからやってみるがいい。
■『葉隠』基本情報ほか

『葉隠』口述者・山本常朝(画像:Wikipedia)
作者:佐賀藩士・山本常朝(じょうちょう/つねとも)の口述を同・田代陣基(つらもと)が記録。
成立:享保元年(1716年)9月10日、全11巻の編纂を完了。その3年後に山本常朝は世を去った。
『葉隠』関連人物山本常朝:
万治2年(1659年)6月11日生~享保4年(1719年)10月10日没
佐賀藩第2代藩主・鍋島光茂に仕え、主君の菩提を弔うために出家した。
田代陣基:
延宝6年(1678年)生~延享5年(1748年)4月5日没
第3代・鍋島綱茂と第4代・鍋島吉茂に右筆として仕えるも、御役御免に。『葉隠』完成後、第5代・鍋島宗茂に再登用されて天寿をまっとうした。
注釈吹毛剣(すいもうけん)とは、髪の毛を吹きつけただけで切れてしまうほど切れ味の鋭い剣。
特定の剣を指す名前ではなく、禅宗の言葉で、煩悩や執着を断ち切る象徴(知恵の剣)として用いられる。
■終わりに

あなたの覚悟と行動は、必ず誰かの希望になる(イメージ)
……いかがでしょうか。
補足の意味でいくらか独自解釈を混じえましたが、『葉隠』本篇の言いたいことは伝わったかと思います。
せっかく死ぬまで生きているのだから、やりたいことを全力でやればいいのです。
既に先駆者がいくらいようが関係ありません。あなたにしか創り出せない価値と魅力が、誰かの救いになることでしょう。
万が一現代にニーズがなかったとしても、いつか誰かが見出しますし、いつかの誰かが浮かばれるかも知れません。
あなたが立てた志は、とても尊いものです。一人ひとりの小さな志が集まって、時代や世の中を変えていく大きな流れとなっていくことでしょう。
「自分なんかが」と諦めることなく、人生の意味をつかみとるキッカケとなったら幸いです。
※参考文献:
- 古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、2011年6月
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan