文学賞の「講評」は誰のものなのか

       

 講評には、作品独特の「物語設定の不自然さ」、長編としての「飽きさせない構成の不足」、技術的な部分で、意図の感じられない「同じ語句の反復」、「オリジナリティの不足」、「人称の表現のズレ」など、次に生かす改善点が並ぶ。

 ただし、それだけにとどまらないのが講評の魅力だろう。

 「テンポの良さ」「斬新な着目点」「シンプルなテーマなのに読ませる文体」「情報の出し入れの上手さ」など、実績のある選考委員が高く評価するポイントが興味深い。これらの作品は、間違いなく魅力的で、あと一歩、物語として練られていれば、違った結果を得ていたかもしれない。そんなことも連想してしまう。

 ネタバレになるので詳細は割愛するが、物語自体を読んでいないのに、講評を読むだけでストーリーが伝わってくるものも少なくない。短い講評テキストの中で読み手に伝える情報量のコントロールは、選考委員の実績あってこそ出来る技なのだろう。

文学賞の「講評」は誰のものなのか
写真は、「小説現代」(講談社)2020年11月号458ページ(撮影:BOOKウォッチ編集部)

 本書(11月号)を読んで、「講評」自体が、小説雑誌の魅力の一つであることを再認識させられた。

 講評は、「作者の糧として」だけでなく、文学賞にチャレンジする方の「教科書として」だけでもなく、評者から発しているので「評者だけのもの」でもない。そして読み物としても愛情あふれた秀逸さがある。

 講評は、いったい誰のものなのだろう。


 読者のみなさんは、どう感じますか? 関心を持たれた方は、「小説現代」458ページからの「講評」をご覧いただきたい。

(BOOKウォッチ編集部)

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「文学賞の「講評」は誰のものなのか」の みんなの反応 2
  • 匿名さん 通報

    「注目したい」主語は?自分が注目したいのなら即座にすれば?

    0
  • 匿名さん 通報

    書評というものは昔からそれ独自で文学の一部を形成していたのだ。当たり前じゃないかね。文学評論がまどろっこしくなったのか、自分で小説を書き始めて成功した評論家もいる。

    0
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2020年10月24日のライフスタイル記事

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