■『帳簿の世界史』(著・ジェイコブ・ソール 訳・村井章子 文春文庫)

本書は、2014年に原書が刊行されて広く読まれ、2015年に和訳、2018年に文庫版が出されている。歴史学と会計学を専門とする著者による、豊富な資料の分析が基礎にあるが、会計や会計責任をとおしてみたときの、国家の繁栄と衰退の物語という見方もできるように思う。

著者の「帳簿の世界史」の研究は、ルイ14世の財務総監ジャン=バティスト・コルベールの評伝を書き終えたとき、ルイ14世が年に2回、自分の収入・支出・資産が記入された帳簿を受け取っていながらも、やがてその習慣を打ち切り、フランスを破綻させてしまったという事実を知ったところから始まったという。

これとよく似た話は歴史上も現代でもどこにでも転がっているのではないか。会計責任を果たすことがいかに難しいか、複式簿記が発明された1300年頃の中世イタリアから700年間の会計の歴史をたどっていく。物語の舞台は、イタリア→スペイン→オランダ→フランス・英国→米国と移っていく。

維持・継承が容易ではない会計文化

緻密で網羅的な帳簿を作成・維持するには、強い意志、自らを律する規律、几帳面さ、勤勉さ、根気などが必要だろう。本書では、せっかく作り上げた会計文化(会計や監査の技術をはじめ、会計にのぞむ態度や考え方など)であっても、その維持・継承は決して容易ではないことが示される。

15世紀イタリアで欧州中に展開した銀行ネットワークを中心に最高の富豪となったフィレンツェのコジモ・デ・メディチの会計文化は、次の世代には引き継がれなかった。銀行経営に必須の厳格な会計報告と監査が失われ、その後のメディチ家は銀行業の裏付けのないものへと変化していった。16世紀スペインで会計の中央管理を目指したフェリペ2世の会計改革は道半ばで頓挫し、国王が監査責任者となりかけていたルイ14世の会計改革もコルベールの死とともに終わり、それぞれ、帝国・王国の衰退へとつながった。

情報開示をめぐるせめぎあいもある。1602年設立のオランダ東インド会社は史上初の株式会社だが、長い間外部監査も行われず情報開示はほとんど行われなかった。株主から決算等の財務情報の開示を求める声が高まって、ようやく国による非公開監査を行うことになった(それで事態の収拾を図った)。

ルイ16世の財務長官ジャック・ネッケルが公表した「会計報告」は、それまで神秘のベールに包まれていた国家財政を国民に開示した。そのあまりにも偏った予算配分への国民の怒りがフランス革命につながるとともに、近代的な公会計の第一歩として欧州の多くの国や米国から注目をされた。

歴史から何を学ぶか

19世紀から20世紀は、18世紀半ばから起こった産業革命により産業が飛躍的に発展するとともに、会計技術も大きく進歩した。法整備等を整え、会計責任を全うすることのできそうな近代的な国家が整ってきた。19世紀の半ば頃、英国や米国で会計の専門家が位置づけられ、会計の専門的な教育も始まった。職業倫理を備え、世間の篤い信頼を得ることが期待された。

しかし、それでも、大恐慌やリーマンショックは起きた。企業の会計不正事件は我が国も含め世界のいたるところで起きている。国や地方自治体など公的団体の財政も油断はできない。

筆者は、本書でたどった数々の例から何か学べることがあるとすれば、会計が文化の中に組み込まれていた社会は繁栄するということだという。ルネサンス期のイタリアの都市ジェノバやフィレンツェ、黄金時代のオランダ、18世紀から19世紀にかけての英国と米国、これらの社会では、会計が教育に取り入れられ、宗教や倫理思想に根付き、芸術や哲学や政治思想にも反映されていたとする。

企業が多様化したり大きくグローバルになったりしても、会計技術がどんなに発達しても、大切なのは、会計や財政に携わる人の意識と意志が高く保たれていることで、それが保たれていれば繁栄に、そうでなければ衰退につながるということだろう。

現在でも、監査や情報開示は、監査する側とされる側、開示する側とされる側で何かと議論になる。過去の衰退の物語はちょっと油断すると現在でも起きるかも知れない。我々は、強い意志、規律、几帳面さ、勤勉さ、根気を持続させることができるだろうか。<J-CASTトレンド>