山奥ニートとは、言い過ぎた表現で、都会を中心にした見方ではなく、「生きること」「働くこと」とは何かを感じ、考える素晴らしい機会ではないかと思うのです。
田舎や限界集落と言われるような場所で働くことは、都会より深い人間付き合いが求められます。そして、その地域を守っていくためには共同体を作って生きていかなければなりません。そこにチャレンジして、自立しようとすることは素晴らしい経験になっていきます。心が動くような経験「原体験」を知ることの重要性
人は心が動くような経験=「原体験」から気づき、大切なことを発見していきます。都会や街は、便利になり、生活の中に工夫をしたり、知恵を絞ったりすることが減ってきました。
成功や失敗という結果を意識するばかりに、「原体験」の大切さを見失い、生きてきたとしたらどうでしょう。
大切なことは何だろうか。自分がしていること何のためなのか。周り(環境や人)にどのような影響があるのだろう。
都会でも「原体験」はできますが、人によってはその「原体験」が不十分な場合があるのでしょう。不十分さを気づいた時、自分に足りないものが田舎にあるのでは、という仮説を立て、行動し始めることは自然の流れに思います。
逆に、田舎での環境に息苦しさを感じたりすると、便利で様々な物事が集まる都会が魅力で移り住む人もいる訳です。都会で「原体験」ができるのであれば、それもいい機会になります。
今まで話してきたことは、生きていくこと、働くことには「原体験」が必要だということです。
そして、もう1つ考えたいことが、「働く」ことが学校を出ると急に目の前に現れることの影響です。今の教育は、大学へ進学するための高校の授業であったり、高校へ進学するための中学の授業であったりする割合がとても多いのです。そのため、働くことに触れる機会がゼロとは言いませんが、多くの学校ではあまりないのが現状です。興味や関心がないところに、勉強を押し付けられ、将来を考えろと言われても生徒、学生は困るだけです。
このような現状を考えると、働き始めた人には、「働くことは何なのか」問いかけるところから始めていくのが良いと思います。
それが田舎であれば自然や周りの人から学ぶことが出来ますが、都会であればその役割を企業が責任を持って行わなければなりません。即戦力として採用したい企業の思惑とは別に、学生たちは戸惑いを持って前に進んでいて、何らかのフォローが必要な時代でもあります。
俯瞰して今を見つめると、田舎でチャレンジしている若者然り、こころが豊かになる働き方を追求する時代がそこまでやってきています。それが幸せな生き方へのチャレンジだと思わずにはいられません。働き方も進化しているのです。
(木村 文俊/大学生塾 理事長)